いつもありがとうございます。感謝の気持ちを込めて。

昨日は落ち込み、自信も無くし、グズグズでした。時々どーんとなるんです。

「もう私なんてダメ人間でダメダメだあ~」となにもかも放り投げそうになるんです。

そんな時、ブログやTwitterで優しいコメントをいただきました。ありがとうございます。

「私は好きです」という言葉。心に染み入ります。本当にありがたいです。どれだけ元気をもらえるかわかりません。

SNSもやめてしまわなくて良かった。優しい人に囲まれて幸せです。

時々というか結構、鬱状態になります。はじまりは抗ホルモン剤から。10年間の抗ホルモン剤でかなりメンタルやられました。

毎日笑って暮らしたいぞ、人も笑わせたいぞと思って生活しているんですが、時々起きた瞬間にドーンとくる日もあります。

深い深い海の中に横たわっているような気持ち。私の存在に価値なんてあるのかな、役立たず~と思ってしまう日。

ベッドから出たくなくて、丸まっていたい。最近やっとそれでもいい、そんな日もあっていいと思えるようになりました。

そんな朝もあの2人はちゃんとやってきます。笑

目覚めよ、ヒューマン。

って、チャチャその顔やめて。

われらに糧を。

まだああああ??

そのうちぺろぺろタイムはじまります。本当にかわいい。

うふふ~起きるよ、あげるよ。

 

にゃんこずにも感謝です。いつもありがとう。

♡ ♡ ♡

 

昨日やっと外出してきました。

まず行ったのは歯医者というか口の中の手術専門医です。入口に熱を測る機会がありました。問診票にも熱が出たかとかあれこれ書き込みました。かなり徹底している感じ。

待合室の椅子も「ソーシャルディスタンスのためにここには座らないでください」とサイン

 

そして医療用の空気清浄機が置かれて作動していました。これはゴミ箱ではありません。って書いてあってワロタ。

インプラントをブリッジの治療をするために360度グルーっと回るレントゲンを撮りました。これ高いんです。でもこういう事情で来られなかったので無料にしてもらえました。

アメリカの医療費すごくて歯医者も今までいくら使っているかわかりません。100万円は越しているはず。それでもまだ終わっていない。というか違う歯医者にかけてもらったブリッジが割れたんです。

治療で半永久的に持つと言われたのでその治療にしたのに1年で割れた。われた…。なので今回保険のカバーもしくは歯医者(同じグループなので)からの割引があると言われました。ほんっとうにお願いしますです。

高い高いって言いたくないですけど、本当に高いアメリカの医療費。

手術で数千万円なんて話ざらにあります。保険料も民間で高いです。この問題を何とかしてほしいなあ。11月の選挙もドキドキです。

まだ心配なことたくさんありますが、元気出さなきゃですね。

Costcoの話は次回また書きます。

 

アメリカで歯医者シリーズ その後

前回までのお話。一年前にやっとほぼ全クラウン(奥の奥歯以外)終了で「しばらくお休みする!奥歯のインプラントは後にする!経済的にも!」宣言をしたのに5本つながったクラウンが割れたよ事件。

1今年も歯医者通い決定

歯医者続編

 

月曜日に私のデンテストとミーティング。彼女とてもやさしくて気に入っているんです。ベトナム系のかわいい先生。同じアジア系として心地よいし、動かないだけで褒めまくってくれるので治療が終わると偉くなったような気がします。←違います。

でも歯茎の中の手術関係&インプラントはのことはできないと。

なので専門医を紹介してもらい行ってきたことを、2の歯医者続編に書きました。

しかーし、この歯医者の雰囲気が嫌いで(なんか冷たい感じがした)変えてもらうことにしました。

そして新しい歯医者&歯茎内手術専門医に行ってきました。全部一つの所でできたらいいのですが、あっちこっちに行かねばならず、しかも話が通じてなかったりするので1から説明し直し。とほほ。

こちらの病院は暖かい雰囲気で気に入りましたが、あの古い歯医者の消毒の匂いがして、おうう💦とひるみます。私が通っている歯医者は新しくて一切その匂いがないのが好きなんです。

でも先生は2人ともいい感じ。ルートカナルもインプラントもここでできるそうで、ほっと一安心。

しかーし(また)インプラント予定の下の奥歯ですが抜けてから長い年月が経ってしまっています。なのでインプラントできるだけの骨の厚みがないかもしれないと。えええ~。

3Dのレントゲンが必要だと。そしてそれは450ドルかかると。そしてそれは、ここではできないと。

いやあああああああ

 

また別の病院へ。こちらは来週行きます。せめて近くてよかった。ここでルートカナルの状態もチェックしてくれるそう。

在米20年以上ですが、全部夫に電話してもらいます。夫よすまん。特に今引退しているので英語関係全部夫。

あっちこっちに電話とか。私絶対何か忘れそう。すごく大事なこと聞き洩らすかもしれないから~電話してお願い!!って。

そう言いつつアメリカ人の友達と長電話するんですけどね。ごめんってえ。でも病院で歯茎の説明するのと友達と洋服の話するのではレベル違うよね?

そのかわり日本では全部電話するからね。レストランの予約とか。笑

実際4年前の日本では夫が携帯をなくして警察や遺失物届やタクシー会社に電話して、あちこちで書類を書きついに連絡が来たんです。帰国前に受け取ることができたんです。ね!助け合ってるよね?

話を戻します。はい。今年もがっつり歯医者通いです。

。。。。。

それから昨日マンモグラフィーも受けてきました。

こちらは軍の病院で。一年に一回。左胸を切除しているので右胸だけ。

乳首に仁丹みたいなの貼るのがちとおもしろい。てか、日本に仁丹ってまだあるの?

「どこか心配な場所ある?」と聞かれてサイドにあるほくろみたいなのを指して「これ!心配なんですけど、ドクターはシミじゃないかなって。老人性のっていうんですよ、あは」って受けを狙ったのにくすっともしない女性兵士。そこ笑っていいのにい。「じゃあ、そのほくろに印付けるわね」う、うん。

その後はアクリル板で胸を押しつぶしてレントゲン撮影です。撮影終わってレントゲン写真をチェックしているときに、その女性が一瞬ちらっと顔を見たんですよね。それが気になって気になって。

「言えないのは知ってます。でもなにかありました?」「あ、私は技師として写真撮るだけで、良い悪いはわからないの」じゃあ、なんで顔見たし。

それは言いませんでしたけど、乳がんが見つかった時の検査技師の顔とまなざしが忘れられないの。17年経っても。

その時は「あ」と言ってないし、眉を動かしたわけでもないけれど表情に「あ」が現れていました。あれは嫌だったなあと思い出しました。

今回も異常なしの手紙が来ますように。

 

 

 

今年も歯医者通い決定 アメリカで歯医者シリーズ

 

先週クラウン部分が欠けているような感じがして、久しぶりに歯医者に行きました。

レントゲンを撮って「あれ?ちょっとおかしい、ブリッジが壊れてるのと炎症があるみたい」と。

歯茎内の手術的なことは、この歯医者でできないので違うところを紹介してもらい行くことになりました。

しか~し土曜日にその歯が抜けました~!!また前歯!! お笑いで黒く塗るところ~~。いやあああああ~~!!

前回前歯が抜けたのは夫の授賞式のど最中。

過去記事 パーティー中に歯が抜けた事件 通称ポロリンチョ事件 笑

その続きの 歯医者シリーズ

 

2018年の歯医者シリーズの始まりはここから

HappyNey Year  通称 大福かじったら前歯が抜けたよ事件←これもひどい。笑

そして一応治療が終了したのが2018年12月 前歯のセラミック終了しました。

 

丸一年かかったんですね。そして忘れているのかもですが昨年2019年は歯医者通いしていないようです。

は!!だから日本に行けたのかな? アメリカの治療費はものすごく高いので、治療中はすってんてんになります。

全額わからないですけど10000ドルくらい行っちゃったかもしれないです。うおおおお~~んごめん~~。

元々強い歯ではなかったのですが、16年前の乳がん治療の抗がん剤と放射線でボロッボロになりまして、前歯6本セラミックに変えたんです。

クラウンと言って自分の歯を細く削ってセラミックの歯をかぶせる治療できれいな歯にしていただき大満足でした。

でも15年経つので、この一つがポロリンチョです。たしかまだその古い歯が1,2本あるので怖い~。ポロる?またポロるの?

奥歯も数本なくてここはインプラントにしたいなと思っているのですが、今噛めるからと後回しでした。ここもなんとかしないと、あわわ。

今年はもう日本行けないかなあ。また冬頃に行きたかったんだけど。

医療費はミリタリーに全額負担していただき本当に本当に感謝です。何度もの手術なんてとてもできなかったと思います。でも歯医者代はミリタリーのベネフィットでも確か当時2000ドルしか出なくて、一瞬で消えます。

引退したので今入っている保険は高いのですが結構カバーしてもらえそうです。それでも莫大な金額が出て行くの。ぐすん。今年は節約です。

 

2020年 やめたこと、やめたいこと。抱負のようなもの。

 

今年に入ってフェースブックを退会しました。

昨年申請して30日間かかりました。

なんだか私には合わなかったのです。数年アカウントを持っていて、フォローしてる(フレンド)のタイムラインを読むだけでした。

昔から仲良しの日本人の友達はFBをしていない人も多くて、どちらかというと軍関係の知り合いが多かったのです。

闘病生活以来、写真が苦手になったのですが、グループのパーティー系のポストも多くて。矛盾しているんですけど、自分の入った写真が貼られていても気になり、自分だけが入ってないとこれまた気になったり。

それから何か書いて返事来ないと「怒らせたのかな?」と思ったり。気にしいなので、疲れてしまうんです。

あとなんだろう、ラブラブ合戦みたいなのもちょっと疲れちゃう。

ご夫婦同士で「誕生日おめでとうラブユー」みたいな。皆がやってたので書いてましたけど、う~ん…隣にいるから言えばいいよね?って(笑)

もちろん遠距離で会えない人は別ですし、そういう場合は嬉しいと思うんですけど、あの何とも言えないオラオラ~的な見せつけ合戦が苦手でした。

FBで鬱になる人も多いのだとか。他人のキラキラして生活を見比べて落ち込むとか。そういうのとはまた違うかなと思うんですけど、性格に合わないかなと。

SNSではツイッターは情報を集められるし、ちょっとしたお話が楽しいのですが、これまた読みたくないことが流れて来たりして、突然アッパーカットくらったりします。笑

楽しいなあ~から突然ノックダウン。これはフォロワーさんではない人から流れてきたりもするのでミュート機能しかないですね。ワードのミュートもできることを教わったので、設定してみようと思います。

アメリカや空軍やオハイオの非難にも打たれ弱いです。愛が強すぎるのかな?(笑)

いやいやメンタル弱すぎる。豆腐メンタルから鋼メンタルになりたいです。

いろいろ向いてないんだなあ。

 

やめたことは(フェースブック)
やめたいことは(なんでも気にすること)
なりたいのは(誰の目も気にしない鋼メンタル)

私は(私)での好きなことをしよう。…っって思っているのに人目が気になる気になる。今年はもっとこのあたりを克服したいと思っております。

 

ブログは続けていきたいです。以前のブログは乳がん関係の記事をずっと書いていたのですが、なんか何も役に立っていないんじゃないかなあと思うようになって。希望を持ってほしいと思って続けていたのですけど悪化された方もいて、すごく心苦しくなってしまったのです。

それで、闘病日記をエッセイの形にして発表してブログは日常のことを書こうと一新したのです。

乳がんエッセイは少しづつ続けていて、16年後のサバイバーというエッセイをカクヨムで書いています。

今年はブログと共にエッセイも、もっと書いていきたいと思っています。

やりたいこと。一年お休みしていたエッセイや投稿小説を続けて、今年はまた賞に応募しようと思っています。

以前アルファポリスのエッセイコンテストの特別賞で5万円いただき、ずっと取っておいて日本に行ったときに好きなものをたくさん買いました。

円のまま持っていたら良かったのですがドルに換えてしまって、それをまた日本で円にしたので、ちょっと損しちゃいました。

夫も何でも買っていいと言ってくれますが、自分のお金で買うガチャガチャはまた格別って言うか…笑 賞金本当にありがたかったです。

で、今年はまた頑張ろうと思っていますが、小説のアイディアも練らないまま、あっという間に2月になりそう! というかブログも書こうよ(笑)

やめたいことは先ほども書いた「何でも気にするのをやめる」「ネガティブな思考をなるべくやめる」…なるべくってつけちゃったよ。たまには、ね?しょうがないよね?笑

いろいろやめたいのは、日本で買って来た本に影響されてるかもしれません。

わたなべぽんさんの「やめてみた」 ぽんさんの書くエッセイコミック好きです。絵柄もすごくかわいい。

帯に書いてあるメイクはやめられませんが(絶対に笑)もやもや人間関係は大賛成ですね。一番難しいことかもしれませんが、これは乳がんになった時に本当に大事な人がすごくよく見えるようになったのと、そういう大事な人との時間を大事にしようと思いました。「いやだなあ」というお付き合いはもったいないですよね。

今年も自分のペースでのんびりと楽しく生活をしたい。毎日笑おう(笑わせよう)嫌なことは言わない、読まない。う~ん抱負っぽくないかも?

あと毎年言ってますが、少し痩せたい。ついに少しってつけちゃったよ(爆)

 

 

やる気が起きない日々と読書

なんだかやる気が出ない日々……どうしよう。

ブログも毎日、せめて一日おきと思っているのにあああ!!っという間に日にちが5日も6日も過ぎているのはなぜなの?笑

本の感想を書こうかなと思っているんですが、そんなの読みたい人いないんじゃないの?と心の中の小さな暗い人がささやくの。

 

それにしても「事実は小説より奇なり」って本当ですね。

海外スリラーやミステリーが好きで本の中で派手な脱出劇がでてきます。

「いやあ、こんなのできないでしょ?」って思うようなことを……やりましたねゴーン被告 よく考えたなあ。そしてこの後どうなるんでしょうか?

驚くニュースが最近多くて、アメリカ国内も大きなことが起こっていますし、イギリスのロイヤルファミリーも大変です。

そんなことをあれこれ読んだり考えたりしつつ、ご飯を作ったり洗濯したりで一日が終わってしまいます。

映画やドラマもあまり見なくなって、Youtubeをぼーっと眺めたりして時間が過ぎていきます。あああ~これはいかん! 落ち込むちょっと前みたいな感じですね。そのうちアイデンティティーがああとか言い出しちゃうから。

ちょっとどんよりなそんな日々。昨年後半からまた読書にのめりこんでいます。

昨年の終わりから今年にかけて読んだ本「スキンコレクター」ジェフリーディーヴァー。がすごくおもしろかったです。

 

 

リンカーンライムシリーズです。

一番好きな第一作目の「ボーンコレクター」映画にもなりましたけど本のほうがうんと面白いです。四肢麻痺でほぼ寝たきりで証拠品から推理するリンカーンライムシリーズ 毎回大きなドンデン返しがあるし、周りを固めるキャラクターも好きで本当に好きなシリーズです。

「スキンコレクター」と言っても羊たちの沈黙のような「皮膚をはぐ」ではなくて、タトゥーを扱っていて、読み応えありました。

2作目の石の猿 それからコフィンダンサー、エンプティ―チェアー、魔術師。までハードカバーで買い、その後文庫本を待つようになりました。

で、何作目かなと調べたらスキンコレクターは11作目で10作目のゴーストスナイパーを飛ばしてた!!

慌てて注文しました。読みたくないときもあったりして、そういう時は買っておくことにしています。積読本。数年後に読むこともあります。そして買うの忘れたりします。←今ここ。笑

本、特に海外ミステリーはたくさん刷ってくれないので(たぶん)売り切れて手に入らなくなっちゃいます。オハイオにはブックオフもないので(ハワイとLAにはあった)好きな作家はとりあえず買います。

大失敗!てのもありますけど、パラパラ読めないからしょうがないですね。

電子書籍に移していきたいと思っていますが、普通のタブレット(またはスマホ)小説の字は読みにくいです。大きくできてそこはいいのですが電気が目につらい。反対に漫画は読みやすいので、まんがはほぼ電子書籍です。

電子インクを使っていて目に優しいキンドルホワイトが欲しいのですけど、肝心のキンドル本が海外ではまだ買えないので、解禁を待ってるところです。アマゾンさん、早く。洋書じゃなくて日本語訳が読みたいのです。

日本の本を買えるようになったら、キンドルホワイト購入決定ですね。それまではスマホで漫画、アイパッドで雑誌買います。

昨年日本でかなり本を買って来たのですがエッセイ本など軽いものが多くてあっという間に読んでしまいました。

ものすごく話題になっていたから買ったけどつまらなかったものがあったり、意外とおもしろいのがあったり。本の出会いもいいものですよね。

大きい本屋にまた行きたいなあ。

なんかいろいろ寂しいなあ。

日本に行っておいしい和食を食べてお話して本屋に行きたいなあ。しゅううん。

 

 

 

 

クリスマスイブにやっと復活しました。回転性めまいで倒れた話

 

10日ほど前のことです。ベッドから起き上がった瞬間、猛烈なめまいに襲われました。

くらくらっと何回か天井が回るような眩暈は経験したことありますが、こんなに激しくひゅんひゅんと世界が回るめまいは初めてでした。

一度横になると収まったので、もう一回起き上がってみるとその瞬間全く同じ猛回転が始まって、立ち上がることもできません。

 

夫に「Dizzyで起きられない」とテキスト(携帯メッセージ)横になってじっとしているとおさまるのですが、少しでも動くとすごい眩暈と吐き気がはじまります。

ベッドで休んでいたのですが水やゲータレードも吐くようになってしまい、脱水も心配だし病院へ行こうと夫。でもこの状態はとてもじゃないけど動きたくない、数時間待っても収まる気配がなかったので観念して病院へ行くことに。

起きるのもトイレにいくのも着替えるのも眩暈と吐き気の戦いで、どんどん、具合が悪くなっていきました。

週末だったのでERという病院の緊急治療室へ。車の中では目もあけられないほどの気分の悪さ。こんなにひどいの初めてでした。

ERは待たされるのを覚悟していたのですが(数時間待たされたことあり)ここはシステムが良い病院ですぐに病室へ。

 

目をつぶったまま、名前や誕生日など答えつつ症状を説明し、最初にすぐにECGという心電図の検査、それから点滴。ここに吐き気止めのゾフランという薬を別の注射器でいれてもらいました。あっという間になくなる吐き気。

この薬は抗ガン剤の治療中にずっとお世話になった吐き気止め。一瞬で吐き気が収まります。それから眩暈を止める薬をのみ、数分後やっと目を開けられるようになったので目の検査や指の検査などして診断が Vertigo (回転性のめまい)でした。

Vertigoとは

めまい(Dizziness) 回転性めまい(Vertigo)の違い MSDマニュアルより

めまいとは厳密な用語ではなく、以下に挙げるような関連する様々な感覚を表現するためによく使われます。

気が遠くなる(気絶しそうになる感覚)

ふらつき

バランスを失ったり不安定になる感覚

漠然とぼうっとする感覚または頭がくらくらする感覚
立ち上がったときにだけ起きるめまいについては、 立ちくらみを参照してください。
回転性めまいとは、次の感覚です。

動いているような感覚

回転性めまいでは、通常、自分自身か周囲のもの、またはその両方が回転している感覚が生じます。この感覚は、子どもの遊びで、その場でぐるぐる回ってから急に止まると周囲のものが回転しているように感じるというものがありますが、それとよく似ています。ときに、左右片側に引っ張られているように感じるだけのこともあります。回転性めまいとは診断名ではなく、ある感覚を説明したものです。
めまいや回転性めまいがある場合、吐き気や嘔吐があったり、バランスが取りにくい、または歩くのが難しいことがあります。

。。。。。。。。。。。

そして、この(回転性めまい)の原因になるものが

良性発作性頭位めまい症

メニエール病

前庭神経炎

内耳炎

前庭性片頭痛

とされていて、数日後に病院でフォローアップで検査をしてもらったところ、一番上の良性発作性頭位めまい症 ではないかと診断されました。

英語ではBenign paroxysmal positional vertigo で通常BPPVと訳されます。こんんなの発音できる人いるの?と思ってたら病院のナースさん(アメリカ人)「発音できないけど、あれかな?」って夫が「BPPV?」というと「それそれ!」」という会話を目をつぶったままERで聞いていました。笑

 

これほどの激しい眩暈と吐き気なのに命に別条がない病気で治療法もそのうちに治るといわれ(内耳の耳石の浮遊が原因で元の位置に戻ると治る)びっくりしました。

もうその具合の悪さは、この世の終わりのよう。私は乳がんで治療していますが、がんはかなり大きかったのに体調に変化はほとんどなかったのです。発覚するまですごく元気でした。こんなにひどい症状の病気ははじめてです。

数日はベッドから全く動けずスマホさえ触れず、回転を止める薬を1日3回飲んでずっとずっと眠っていました。(アンチヒスタミンが入っているのでずっと眠い)目が覚めて頭を動かすと気分が悪くなるので寝ているのが一番良かったです。

やっと動いて少しづつ何か食べられるようになったのが5日目くらい。回転は収まってましたけど、足がどうにもふらついて何もできませんでした。

食事を少しづつ増やして家事ができるようになってきたのが1週間後。そして今日は10日目くらいですが、足もしっかりして、ほぼ復活です!

グーグル先生にどのくらいで治るかきいたら3週間から6週間と書いてあってがっかりしましたけど、それより前に治りました。良かった~!

クリスマスディナーも作り、このブログも書ける。普通のことができる幸せ。素晴らしいことです。

いつものように3人でクリスマスのハムなどを食べて、なんて幸せなんだろうと再確認しました。

プレゼント本当に何もいらない、と思いました。私には家族と健康が一番です。

この病気は年齢が高いほど発症しやすいそうで(うん、だと思った)気をつけなければいけないですね。階段で、とか運転中にとか考えると本当に怖いです。

今回も猫先生が添い寝治療してくれました。笑 ありがたいです。

 

 

 

 

イチロー選手の引退会見の言葉で思ったこと。

 

イチロー選手の引退は日本では大きなニュースだったのではないでしょうか?私もSNS、おもにツイッターで流れてくるニュースを読み、会見の一部も見ることができました。

イチロー選手の引退会見で、心に残った言葉がありました。忘れないようにここに書き残しておこうと思います。

孤独感を感じながらプレーしていたのかという質問に、それはないと答えた後

 

イチロー選手の会見より ここから。。。。。。

それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれたんですよね。

この体験というのは、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は思います。

だから、辛いこと、しんどいことから、逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく。そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなと感じています。

。。。。。。。ここまで

 

胸に刺さりました。

アメリカに来て驚いたこと。それは自分が外国人になったことでした。

特に25年以上前の日本は(日本には日本人しか住んでいないのが当たり前)というような風潮でした。

結婚して基地の外に家を借りようとしたときに(外国人お断り)がほとんどで、これは自分が外国人、もしくは外国人の家族がいる人しか知らないことでした。

夫は日本が大好きですが、こういう時は落ち込むことも多かったです。

あちこちでこういう目に見えない(差別)にあい、文句も言いましたけど、私の一言では何も変えることはできませんでした。

私は憤りを感じながらも「日本ってこういう国なんだよね」とあきらめていたことも事実です。

そして渡米してアメリカ暮らしを始めて、今度は私が外国人になりました。

いきなりマイノリティーというカテゴリーになり心底驚いたのを覚えています。アイダホの田舎町での生活はつらいものがありました。

どこに行ってもジロジロ見られます。そう夫に言うと「それが日本での自分だったよ」と言われハッとしました。確かに当時はジロジロと見られて私は気にしていませんでしたけど夫の気持ちはどうだったのだろうと、やっと考えることができたのです。

アイダホのある街で「日本人?初めて見たよ!」と言われたこともあります。私は見られるのもすぐに慣れて、こちらからハーイと挨拶するようになりました。

そして初めて会う日本人が感じ悪くてはいかん!!とどこに行っても愛想振りまき(笑)ある意味日本を背負っていたと思います。

近所づきあいを積極的にしてアメリカ人の友達も増えて、そういう気持ちを吐露したこともあります。

友達が増えても群衆の中の孤独、深い孤独感に悩まされることも多かったです。

辛い数年を過ごしてまた日本の基地に異動になったとき、日本国を見る目がすごく変わりました。外国人というマイノリティーに対する思いも。どんな気持ちでいるのかも。

日本に帰ってすぐに、本当にすぐに中古車のお店で「Yナンバー(横田基地)には車売らない)と言われ、福生にあった有名レンタルビデオ屋では「外国人は家族でもカード作れない」と言われました。

その時にはもう「しょうがない」という気持ちは全くなく「こういうことを変えていきたい」と思いました。

ビデオ店はその支店だけの決定だったようで本社から丁重に謝罪され、改善されました。お店側でも多分たくさん嫌な目にあったのだと思います。他の基地のそばにあったビデオ屋では「返さないで本国に帰って困っている」と言われ、基地の電話番号とかけ方など教えました。

日本にいたころ、どちらの気持ちも分かったので、いろいろなことが改善されたらいいなと気がついたことは電話かけたり基地側にも話をしたりしていました。

しばらく架け橋を続けたいと思っていたのですが、そんなある日乳がんにかかり、またアメリカ(ハワイ)に行くことになったのです。

そこからの数年は闘病で自分のことで精一杯でした。家族に支えられここまでやってこられました。

夫と息子には感謝の言葉しかありません。

猫家族も増え、いつも仲良く楽しく暮らしています。

それでも、時々どうしようもない孤独感に襲われる時があります。

日本に帰りたいなあ。

そう思った時に

ああ、もう日本人じゃないんだなあ。帰れないんだなあ。

と思い泣きたい気持ちになります。

本当に家族と別れて日本で一人で暮らしたいわけじゃないんです。それでも、時々、そういう気持ちになったときには今度は(外国人)として日本で暮らさなくてはいけないんだなあと思いました。

3か月だけ。

切ないような悲しいような気持になるときがあります。

特に桜の季節に(桜が咲き始めた)と写真を見たりすると、どーんと沈みます。大好きなんですけどね、だからこそ辛かったんですね。

昨日はそんな日でした。深い孤独感に沈んでいた日。

そんな日にイチロー選手の会見の一部を見て「ハッ」としました。

この経験があるから、人の痛みも想像できるようになったんだなと。そして自分はそれを受け止めればいいんだなと。

そう思うとアイダホでのあの生活があってよかったなと思います。そして何もないあのド田舎生活があったからこそ、オハイオのこの生活もサイコーと思えます。ってどっちにも失礼ですね(笑)

いろいろな経験をして、辛いこともあるけどいつかは自分の糧になる。そう信じています。

 

 

 

 

 

 

私の英語勉強法 過去編2 アイダホでの試練

前回の続きです。

結婚して日本の基地内で生活をしていました。妊娠して、出産も基地内の病院でした。この頃の英語は意思の疎通ができる程度で混み入った話もできませんでしたし、文法的にも発音的にもひどかったと思います。

特に病院では困りました。妊娠でそういう教室に行っても何もわからない状態でした。ノーラコーリさんの「海外で安心して赤ちゃんを産む本」を何度読み助けられました。

アマゾンを見ると、まだ売られていましたがレビューが「内容が古い」なるほどと思いました。20年以上前の愛読書?でしたから。私にはとても良かったです。

この後の赤ちゃんを育てる編それから学校編も持っていて、重宝しました。

その時々の状況に応じて調べるのが一番勉強になると思います。

その時はかなり出産用語を勉強したと思っていたのですけど、わからなくて聞き直すと意地悪なナースに「こんな言葉わからなくても結婚して子供産むのねー」と早口で言われたこともあります(そんな悪口は早口でも聞き取れます。笑)

在日の基地内では日本人もたくさんいて、あまり英語に苦労しないんですね。日本人従業員が多いので、何を買うのも、どこに電話するのも日本語で大丈夫でした。(基地によって違うかもしれないです。それから20年前です)でもそこで甘えてるわけにはいかないと思い、きちんと習うことにしたのです。

子供を育てながら基地内の大学で講習があるESLに行くことにしました。

English as a second language 英語が第一国語ではない人のためのクラスです。

先生は日系人で日本語のほうが怪しい先生でした。ここで飛躍的に(自分比)伸びた気がします。

英会話中心ですが、ここでは読み書きも重要だと教わりました(私は読み書きがダメダメなのです。今でも苦手です笑)

ここでの決まりは調べ物をするときは英英辞典を使うこと。でした。最初はすごく苦労したのですが、これがすごく良かったです。わからない単語を英語で引く。英語の説明を読む。わからなければ、またその単語を調べる。かなり高くて重たい辞書を買った覚えがあります。今ならスマホでちゃっちゃと出てきて発音まで教えてくれますね。

英英辞典とそれから「とにかく何でもいいから書く、書いて書いて書く」と宿題も書くものが多くてつらかったのを覚えています。

今思い出すと私頑張ってた(笑)今全く向上心なくゴロゴロする毎日で、どうしたんでしょうか?反省です。

そうやってかなり会話も上達していき、その頃にアイダホに異動する話が来たのです。

カリフォルニアに数回行っていたので「アメリカだもん、どこでも同じでしょう?」となめてかかってアイダホでえらい目にあいました。

。。。。。。。。。。

初めてのアメリカ生活を控えて興奮よりも不安が大きかった日本を去った日。

基地のバス乗り場にたくさん友達が来てくれました。親友も遠くから来てくれてバスが出た後崩れ落ちて泣いたそうです。私もバスの中でも号泣。飛行機離陸で号泣。飛行機から見下ろした真下には隅田川の花火が見えて「祖国ニッポン!!」と言いまた号泣。

アイダホについてからは、すっかり覚悟が決まっていたと言いたいところですが、小さな空港、そして砂漠を見て唖然。タクシーに乗り「ここから1時間半くらい」と言われさらに唖然。なによりもなん十分走っても変わらない景色に驚愕しました。

途中うとうとして30分くらい眠って目を開けた時、全く同じ砂漠の地平線でした。

これは違う国の写真ですけど、こんな感じです。

 

小さな基地の生活が始まったとき息子は4歳になっていました。小さいコミュニティーの中人間関係が濃厚でアメリカ人の友達もたくさんできました。

アメリカ映画のような田舎町の付き合いです。外に安いチェアーを並べて井戸端会議(笑)近所の子供も毎日遊びに来て、すっかり英語にも自信がついていた頃、5歳になった息子が幼稚園に通うことになりました。

その頃の息子はあっというまに英語だけになってきていました。友達も英語、近所の人も全員英語。日本にいたらテレビも日本語。日本の家族や友達がしょっちゅう来て皆で日本語を話していたのですが、それもまったくなくなったので日本語を話すのはお母さん(私)だけ。

私が日本語で話しかけても英語で答えが返ってくる。そういう生活でした。

あっという間に英語になったとはいえ、生まれたころから日本語も教えてきたので言葉も遅かったですし、2か国語で混乱することもしばしばでした。

そんなある日幼稚園から連絡が来て「もう一年やり直した方がいい」と言われたのです。幼稚園で留年!!基地に数人いた日本人奥さんに聞くと「うちもそうだった」と言われてこれまたびっくり。

面接に行くと「英語を理解する能力に欠けているようだ」と言われました。夫が「家ではそんなこと全然ないですけどね」と言うと「わからない単語がかなりある」と言われました。例えばカーペットはわかるけど、ラグと言われるとわからない、とか。そんな程度で留年??とびっくり。

結局 Tutor (チューター)という家庭教師の先生をつけてもらって卒業できたのですが、書類に「英語力の欠如は母親がちゃんとした英語を話せないせいでした」と書かれていて、その時のショックと情けない気持ち、悔しい気持ちは数年たっても忘れられませんでした。

私のせい?私のせい?これこそが号泣というくらい泣いて、その後涙も枯れて日本に帰ろう。そう思いました。

近所のアメリカ人友達に話したら「なにそれ??そんなことないじゃん、私たちと毎日F(ファッ〇ンぐ)話してるよね?Fゴシップばっかだけど、ぎゃはは」とその人のFワード満載の英語もあれですけど(笑)

その先生は田舎の白人のおばあさんで人種差別がかなり強かったようでした。口には出さなかったですけど、態度が見え見えでしたね。

今だったら「うるせーよ」くらい言ったのになあ(笑)当時の私は心の底から傷ついたのです。しばらくトラウマで英語を話そうとすると「文法合ってるかな」と気になって話せなくなりました。

その後日本に帰ることになり、英語だけになってしまった息子になんとか日本語を教えようと大奮闘が始まるのですが、その話はまたいつか書こうと思っています。

英語勉強法じゃなくなってしまった(笑)

 

 

 

 

残留思念について

なんだかいきなりオカルトみたいなタイトルなりましたけど、怖い話じゃないです。

 

残留思念 Residual pneumatronic

 

きちんと説明できないのですが、昔から(何か)を強く感じることがあって、それは「霊感」なのか「第六感」なのかわからなかったんです。

 

日本にいたころ、テレビでFBI捜査官が超能力で捜査するという番組があって、現場でものに触れるといろいろなものが見えてくる。この人はそれを「残留思念」と呼んでいました。

その時にはっとしました。「これなんだ!」

そこにいた人が残した強い気持ちを感じること。

若い頃から{なにか}気がついていたのですが、ものすごく、それはものすごく怖がりだったので霊感だとしたら?と思うと「ないないよ~~!気のせいだよ~~!あわわ~~いやあああ~」という感じで暮らしていました(笑)←ホラー好きでもオカルト嫌い。

この「超怖がり」は大病をして変わりました。命にかかわる病気で闘病中はあちらの世界があると信じていた方が気持ちが楽でした。それ以来ちょっと変わったかもしれません。

私のは超能力とかそういうのではなくて、例えば高い音が人より良く聞こえるとか、普通より匂いに敏感(←ジミーちゃんとか)そういうものだと思います。

 

「何か感じる」なんて言うと怖いのが嫌いな人はドン引きすると思いますけど、嫌な(気?)は、はっきりと形になることもあります。

 

特に誰かが住んでいた家には強くいろいろ残るような気がします。

今の不動産投資を始めて中古の家を見ることが多くなりました。

ローンが払えなくなって銀行が差し押さえた物件などは投資的にはとてもいいのだと思いますけど、一歩入って気分が悪くなることもあります。

外から綺麗に見えても黒い雲に覆われているよう。中に入るとは壁に穴が開いていたり、ガラスが割れていたり。すごい怒りを感じます。

不動産投資の話はいろいろあるので少しづつ書いて下書きに入れています。もう少し今の問題が落ち着いたら公表しようと思っています。

この体質は今の仕事にあっていたかもしれないですね。

 

昔カリフォルニアのある場所の駐車場に車止めるのがすごく嫌で、夫と夫のママに話したことがあるのです。

「すごく嫌な気がするの、違う場所に車止めたい」と。

後から聞いた話だとそこは火事があった場所でした。なので更地にして駐車場にしたのだと。

夫ママもそれまで他の人に話したことことはなかったそうですが、同じ体質?でした。

「ともたん!!あの感じよね、黒い雲みたいなのでしょう?」と。そうなんです。あまりにも強く残った人の気持ち?がそんな風に見えることあったのです。

LAのホテルに泊まった時に2人で顔を見合わせ「あるね」って言ったことも。多分麻薬関係のなにか。見えるわけではないけれど、暴力的なことが起こったのかなと。

結婚したころ、古着がブームで着ていたのですが頭が痛くなったりすることもありました。夫ママは「古いものにはなにかしら持ち主の気が残るから身に着けてはダメ」と言われました。洋服や特に指輪などの装飾品。いつも身に着けていたものなど。

それでも妊娠中は基地の中の奥さんのマタニティーを借りて着たり、赤ちゃんの服も皆で回していたり、それほど気にしなかったのですが何年も言われてきたので、今では中古の品が苦手になりました。

それは価値があるアンティークとかでも同じです。ビンテージ大好きという人多いし、美しいと思うのですが、買えないです。もちろんアンティーク物は経済的にも買えないですけど。

だからなに?っていうオチはないです(笑)

前から書きたいなと思っていて途中まで下書きに入れていました。こういうの嫌いな人もいるかなと思って。でも同じ体質?の人もきっといると思って書きました。もし同じなら怖がらないで欲しいと思います。

嫌な場所は今までたくさんありましたけど、オハイオはとっても少ない気がします。この辺だけかもしれないですが、なんていうか(ほんわ~)って感じがします。それも、ここにいようと決めたことの一つです。

ほんわか~でのんびり~~。

今は寒いけど~(笑)