2週間経ちました。悪化から旅立ちまでの記録

 

 

コタちゃんが旅立ってから2週間以上経ちました。

悲しみは癒えませんが、日常は戻りつつあります。

 

昨日、お世話になった病院からサイン入りのカードが届き、夫が泣き出して私もまた泣いてしまいました。まだ読んでいないのに。

でもおとなしくて人懐こかったコタローちゃんは、痛いことをされる先生にもゴロゴロいって、病院でもすごくかわいがられたんです。

もう助けられないと分かったときはコタローチームの先生(何人かのチームでした)たちがすごく悲しんでくださったと聞いて、その時も泣きました。

 

抗がん剤をしていた5ケ月は元気を取り戻し、ご飯をたくさん食べ、兄弟で遊べるまでにもなっていましたが、3月の下旬、急に全く食事をしなくなり、具合悪そうに暗い隅っこへと移動していきました。チャチャはその夜ずっと寄り添っていました。

「もしかしたら危ないかもしれない」といつもの病院へ。

1日入院して抗がん剤をもう一回して様子を見ることになりました。終わったときはご飯を食べたよと先生から電話があり、少し安心したのですが翌日は体調が悪く、超音波で再発がわかり、腎臓数値もすごく悪く、機能していませんでした。

もうこれ以上は延命が無理だというその日にいくつかの選択肢がありましたが、退院して家に連れて帰りました。

 

家では、ほぼ横たわったまま、ほとんど動けずに目もずっと開いたまま。その日から2日間5時間ずつの交代で24時間体制で家族で看病しました。誰かが一人必ずついているようにしていました。

「出来る限りのことをしよう。でも苦しむような治療はやめよう」

そう決めた5か月前。医療的なことはできる限りのことができました。治療方法などは落ち着いたら詳しく書くつもりです。金銭的なことなども。100万円以上にはなっています。

後悔はしたくないと思っていましたが「本当に苦しくなかったのかな」とか「延命のためだけの抗がん剤は正しかったのかな」と考えてしまいます。

 

最後の2日間はすごく長く感じて時間の感覚も、なくなっていました。コタちゃんは目を開けたまま、ただ横たわっているだけなのですがトイレができず(水も飲めなかったのですが家での水分の点滴をしていたので、おしっこはでます)その介護が大変でした。ただきれいにするだけならいいのですが、最後に強い抗がん剤をしているので排せつ物を素手で触らないとか(抗がん剤の成分が出ているため)漏らした床にスプレーを直接かけない。など注意がありましたけど、全然守れませんでした。

そして10分に一回は顔を起こして鳴くのが辛かった。にゃあーんではなく、うう~と唸るような声で。

そのたびに「ここにいるよ、大丈夫だよ」と声をかけて名前を呼ぶと、そんな時でも喉を鳴らしてゴロゴロいうんです。

その時は「看病中は普段と同じような口調で話しかけてあげよう」と思っていたので、泣かないようにしていましたけど、この時は涙が出ました。

 

号泣したのは旅立った時と火葬して骨壺(小さな箱)が戻ってきたとき。これは一週間後でした。

その時はちょうど夫と交代の時間で、夜私はもうソファーで寝ようとシーツを持って1階へ降りてきました。「こたちゃん、ママ来たよ~」と言うと顔を起こさずにグイーとそらすようにした後に、また唸るように、でも長く鳴きました。

もしかしたらサインかもと慌てて息子も呼び、3人で囲んで名前を呼びながら、大好きと言いながらお別れができました。

抱っこしたかったのですが、体が弱っているのでしない方が良いとのこと。それに抱っこが嫌いだったので。

息を漏らした後眠るように……。夫と息子は先に号泣してましたが、私はなかなか信じられなくて。開いたままの眼を何とか閉じようとして、その時ようやく現実を受け入れて、子供のように大声で泣いてしまいました。

あまり泣いたら、魂が離れられなくなるとも聞いていました。だから夫はSelfishなことをしたくないと言いつつも我慢できずに今でも泣いています。

特にいなくなって数日間はチャチャが探すそぶりをするので、それを見て夫はずっと泣いていました。

少し離れていた病院へ最初の入院以降は毎回一人でコタちゃんを連れて行き、連れて帰っていました。会計をして先生と電話で相談をして薬を与えと、すべての事をやってくれました。おとうさんっこだったコタローちゃん。最後までずっと面倒見てくれていました。夫には本当に感謝です。

 

思い出が多すぎて、何を見ても思い出してしまいます。皆の悲しみが癒えるまではしばらくかかりそうです。

 

今朝、起きる寸前にコタちゃんの夢を見ました。

チャチャが走っている後ろを嬉しそうに追いかけている夢。夢の中でびっくりして「え?コタロー?コタなの?」というとさっと振り向きました。

元気なころのままのかわいい姿で。

すごく楽しい気持ちが伝わってきて良い夢だったんですが、やっぱり泣いてしまいました。

ああ、もう。

「ほらー泣かないで」と思って夢に出てきてくれたかもしれないのに。だめだめですね。

一緒に暮らした13年間。どれほどの幸せと癒しを与えてもらったかわかりません。感謝しかないです。

パンデミック中でも猫たちがいたから毎日笑顔でいられました。

まだ写真を見ても泣いてしまいますが「楽しかったね」と笑える日がきっと来るよね。

ありがとうね。

皆、悲しいけど頑張っているよ。

絶対に忘れないよ。

ずっとずっと、大好き。

 

 

 

 

“2週間経ちました。悪化から旅立ちまでの記録” への3件の返信

  1. Tomotan-san,

    3日ほど前に こちらに、ちょっと長めのコメントを入れました。。
    (送信後に確認済)ですが、きのうチェックしたら 何故が消えてまして。。。 Tomotanさんが目を通すことなく、消えてしまったのだろうか。。。

    何を書いたか、思い出しながら 再度ここに書きますね☺

    この記録を涙なしには読めませんでした。
    そして、何度も 何度も 読みました。

    コタちゃん、すごいすごい頑張ったね、エライね!
    すごく本人は シンドイはずなのに ゴロゴロ鳴らすなんて、
    本当に可愛い、切ない。。。けなげだね~!

    お薬が効いて 順調の様子だったのに、急に体調崩して。。
    再発してたんですね。。。

    お家で ずっと一緒に居られて本当に良かった。
    24H 体制で 誰かが必ずいるって事は、コタちゃんは安心できた
    ことでしょう。

    本人の前で泣いちゃいけないって 分かってるのに、涙が出ちゃうって、、辛い。。。 私も経験してます。

    家族みんなに見守られて 旅たった事は、コタちゃんにとって
    (病気になったことは別として)幸せな人生だったと思います。
    今は ちゃーくん の事が心配です。。。ずーっと、仲良しの二人だったものね。

    私の愛鳥 ラッキー の事と重なりました。
    いままで 筋肉質だった子が 痩せ始めたんです。
    胃腸炎と診断されて、 点滴に 1週間通院。
    それでも回復が 難しく、 自宅療養か入院 の選択をせまられた時には、先に涙が出て、即決できず。。。
    どちらにもリスクがある。。  その時の 主治医の言動を見て、 私は、愛鳥の 入院 の決断をしました。
    1日おきに 面会に行きましたが、毎回 泣きながら運転して
    帰ったものです。
    1週間後に退院したのですが、 愛鳥は ふらふらになりながらも。私の肩の上に乗ろうとしたり、私の前で 餌を食べようとしたりするの。。 けなげ。。。
    退院後に、症状から云って胃癌でしょう と言われた時はショックで、 愛鳥の前で 号泣しました。 そして  あとどれぐらいなんですか。。と院長に聞いたのでした。

    胃癌 と分かってたら、絶対に入院させなかったわ。。
    痛くて 辛いだけの 入院。
    入院中、あの小さい身体に 点滴を 1日3回も点滴だったの!

    退院後は、家では ビニールハウス状態にして気温33℃を保つようにいわれたけど、しゅっちゅう 触りまくってました。

    さいごの 一時間は ずっと私のてのひらの中。
    なみちゃんは ここに居るよ。と ずっと声を掛けてました。
    目をしっかりと開いて 頭をぐる~っとまわして 部屋をみまわしたら、 もう動かなくなりました。。。 
    愛鳥は 私の手のひらから 旅立ったのでした。

    私事を いっぱい書いちゃってゴメンなさい!

     

     

  2. 奈美さんへ いつもコメントありがとうございます。
    書かれたコメントが消えてしまったこと。理由が全くわかりませんが、せっかく時間をかけて書いて下さったのに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
    以前していたブログ(FC2)ではタブーワード設定があって反映されないコメントがありました。
    でもこのワードプレスでは全くしていないと思うのに、なぜ消えてしまうのか原因を調べたいと思います。
    スマホから見てみると「コメント受け付けていません」と表示されているし、そんなことした覚えがないのに。

    コタローの症状を細かく書くこと悩みました。でも私自身、他の方のブログを読んで参考になったので書きました。
    読んで下さり、ありがとうございます。
    ゴロゴロ喉を鳴らしてくれたこと、忘れられません。最後まで本当に優しかったです。

    ラッキーちゃん、そんな小さな小鳥が胃腸炎になったり胃がんになったりするの本当に驚いています。
    筋肉質から痩せてきた。そんな変化は愛情をもって観察しなければわからないと思います。
    辛かったですね。
    入院も点滴も症状を和らげるのに役だったのではないかなと思います。
    私も抗がん剤の事を考えますが、数か月でも元気になれて良かったのかなと思えるようになりました。
    ラッキーちゃんも手のひらから旅立てて幸せだったと思います。

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