8月 最近の事 アメリカから日本に花を送るには。

 

日本はすごく暑いと聞いていますが、皆さま熱中症にお気を付けくださいね。

オハイオは今日はすごく暑いと思っていましたが84℉ 摂氏だと29℃なので大したことないですね。オハイオは普段、真夏でも最高気温で26℃27℃なので暑く感じます。

テキサスに行ってた夫は「くそ暑い」と言ってますが、地元の方が「先週は暑くて120℃(48.8℃)だった」と言ってたとか。ぎゃあああ。

そんな「何もないけど、過ごしやすいよ」なオハイオからお届けしますww

ついに月一の更新になってしまっています。

読んでくださってる方、申し訳なく思っています。

言い訳ですが、今年はいろいろありまして……。

2023年 元旦から歯の痛みで寝ていました(昨年の年末に歯のインプラントのためのサイナスリフトと骨造成手術を受けました。今月か9月にインプラント手術の予定なので、サイナスイフトの事も一緒に歯医者シリーズに書く予定です)

愛猫コタちゃんが悪性リンパ腫でほぼ毎週、抗がん剤を病院でしたり、家でも看病していましたが、4月にお空に帰っていきました。日々悲しみは薄れてはいますが、ふとした瞬間にドーンと襲ってきます。

それから夫は軍を引退しているのですが、軍関係で活動していることがありまして、年に数回、出張に行きます。以前はよくついていって(ワイフ同伴パーティー)ブログにも写真をよく載せていました。

しかしコロナ禍ということもあり、持病もあり、がんサバイバーでもあり、年齢的にもちと怖いので3年間パーティーやコンベンションどころか、軍関係の友人たちと食事さえ、行っていませんでした。

それなのに、しょうがないとは思いますが……そんな軍コンベンションからコロナ持ち帰った夫。私と息子にうつり、私はERにいくほど激しい頭痛や疲労感でかなり悪く(それでも、きっと軽症)回復するまで10日から2週間かかりました。

過去記事 新型コロナウイルスに感染していました。

 

許さん!!と一時は猛烈に怒りました。私はもうやめて欲しい、でも夫は遊びに行ったわけではないし、その仕事は生きがいでもあるので「やめてくれ」とはいえませんでした。

なので、まだちょこちょこ出張入ってます。ふうう。←結構辛い

軍時代、いつもフライトでいなかった夫。そのたびに赤ちゃんを抱えて大変な思いをしたことがよみがえってきてしまって。すっかり大人なんですけど、いないといろいろと思い出してしまい鬱がひどくなりました。

どんよりしてましたけど、8月はバースデーなので毎年マイセルフギフトを選ぶのが楽しくて、うかれていたら……母の命日のお花のオーダー遅れていました!

2016年日本旅行に行き(こちらも前のブログから転載予定。写真の整理をしているところです)私たちがオハイオに帰ってすぐに倒れた母。最後に会えて、大好きとハグもできて、それは本当に良かったのですが、あまりにも急でした。またすぐ飛行機に乗り、アパートの整理やお葬式に間に合って……。

それが8月3日だったのですが、なぜか毎年5日と勘違いしていて、大慌てでお花オーダーしました。

アメリカからお花をオーダーできるサイト イーフローラ

毎年お世話になっています。

送り先の住所を入れると近い場所の花屋さんの一覧が。そして用途を選ぶと花束やフラワーアレンジメントの写真を出てきます。手渡しも可能で、私は命日用のお花、母が好きだったユリとトルコ桔梗の入ったものを選ぶようにしています。

「遅い!」って怒ってるかな?「あんたらしいわ」って笑ってるかも。こたちゃんと遊んでいたらいいなと思ったりします。夫ママも一緒に。

 

 

 

 

2週間経ちました。悪化から旅立ちまでの記録

 

 

コタちゃんが旅立ってから2週間以上経ちました。

悲しみは癒えませんが、日常は戻りつつあります。

 

昨日、お世話になった病院からサイン入りのカードが届き、夫が泣き出して私もまた泣いてしまいました。まだ読んでいないのに。

でもおとなしくて人懐こかったコタローちゃんは、痛いことをされる先生にもゴロゴロいって、病院でもすごくかわいがられたんです。

もう助けられないと分かったときはコタローチームの先生(何人かのチームでした)たちがすごく悲しんでくださったと聞いて、その時も泣きました。

 

抗がん剤をしていた5ケ月は元気を取り戻し、ご飯をたくさん食べ、兄弟で遊べるまでにもなっていましたが、3月の下旬、急に全く食事をしなくなり、具合悪そうに暗い隅っこへと移動していきました。チャチャはその夜ずっと寄り添っていました。

「もしかしたら危ないかもしれない」といつもの病院へ。

1日入院して抗がん剤をもう一回して様子を見ることになりました。終わったときはご飯を食べたよと先生から電話があり、少し安心したのですが翌日は体調が悪く、超音波で再発がわかり、腎臓数値もすごく悪く、機能していませんでした。

もうこれ以上は延命が無理だというその日にいくつかの選択肢がありましたが、退院して家に連れて帰りました。

 

家では、ほぼ横たわったまま、ほとんど動けずに目もずっと開いたまま。その日から2日間5時間ずつの交代で24時間体制で家族で看病しました。誰かが一人必ずついているようにしていました。

「出来る限りのことをしよう。でも苦しむような治療はやめよう」

そう決めた5か月前。医療的なことはできる限りのことができました。治療方法などは落ち着いたら詳しく書くつもりです。金銭的なことなども。100万円以上にはなっています。

後悔はしたくないと思っていましたが「本当に苦しくなかったのかな」とか「延命のためだけの抗がん剤は正しかったのかな」と考えてしまいます。

 

最後の2日間はすごく長く感じて時間の感覚も、なくなっていました。コタちゃんは目を開けたまま、ただ横たわっているだけなのですがトイレができず(水も飲めなかったのですが家での水分の点滴をしていたので、おしっこはでます)その介護が大変でした。ただきれいにするだけならいいのですが、最後に強い抗がん剤をしているので排せつ物を素手で触らないとか(抗がん剤の成分が出ているため)漏らした床にスプレーを直接かけない。など注意がありましたけど、全然守れませんでした。

そして10分に一回は顔を起こして鳴くのが辛かった。にゃあーんではなく、うう~と唸るような声で。

そのたびに「ここにいるよ、大丈夫だよ」と声をかけて名前を呼ぶと、そんな時でも喉を鳴らしてゴロゴロいうんです。

その時は「看病中は普段と同じような口調で話しかけてあげよう」と思っていたので、泣かないようにしていましたけど、この時は涙が出ました。

 

号泣したのは旅立った時と火葬して骨壺(小さな箱)が戻ってきたとき。これは一週間後でした。

その時はちょうど夫と交代の時間で、夜私はもうソファーで寝ようとシーツを持って1階へ降りてきました。「こたちゃん、ママ来たよ~」と言うと顔を起こさずにグイーとそらすようにした後に、また唸るように、でも長く鳴きました。

もしかしたらサインかもと慌てて息子も呼び、3人で囲んで名前を呼びながら、大好きと言いながらお別れができました。

抱っこしたかったのですが、体が弱っているのでしない方が良いとのこと。それに抱っこが嫌いだったので。

息を漏らした後眠るように……。夫と息子は先に号泣してましたが、私はなかなか信じられなくて。開いたままの眼を何とか閉じようとして、その時ようやく現実を受け入れて、子供のように大声で泣いてしまいました。

あまり泣いたら、魂が離れられなくなるとも聞いていました。だから夫はSelfishなことをしたくないと言いつつも我慢できずに今でも泣いています。

特にいなくなって数日間はチャチャが探すそぶりをするので、それを見て夫はずっと泣いていました。

少し離れていた病院へ最初の入院以降は毎回一人でコタちゃんを連れて行き、連れて帰っていました。会計をして先生と電話で相談をして薬を与えと、すべての事をやってくれました。おとうさんっこだったコタローちゃん。最後までずっと面倒見てくれていました。夫には本当に感謝です。

 

思い出が多すぎて、何を見ても思い出してしまいます。皆の悲しみが癒えるまではしばらくかかりそうです。

 

今朝、起きる寸前にコタちゃんの夢を見ました。

チャチャが走っている後ろを嬉しそうに追いかけている夢。夢の中でびっくりして「え?コタロー?コタなの?」というとさっと振り向きました。

元気なころのままのかわいい姿で。

すごく楽しい気持ちが伝わってきて良い夢だったんですが、やっぱり泣いてしまいました。

ああ、もう。

「ほらー泣かないで」と思って夢に出てきてくれたかもしれないのに。だめだめですね。

一緒に暮らした13年間。どれほどの幸せと癒しを与えてもらったかわかりません。感謝しかないです。

パンデミック中でも猫たちがいたから毎日笑顔でいられました。

まだ写真を見ても泣いてしまいますが「楽しかったね」と笑える日がきっと来るよね。

ありがとうね。

皆、悲しいけど頑張っているよ。

絶対に忘れないよ。

ずっとずっと、大好き。