2016年 日本旅行記8 夫携帯紛失事件の結末

 

2016年 日本旅行記8

今回の日本帰国の最大の事件(オーバーか)夫の携帯紛失事件についてです。

「気になって気になって夜も眠れない」というコメントが殺到しました(嘘)
本当は数名様から「どうなった?」(笑) 気になりますよね、確かに。

これ実はかなり後半の出来事なんですが、あまり引っ張るのもあれなので今日書くことにしました。

❤では、始まり始まり~パフ~♪

。。。。。。。。。。。。。。

 

東京初日からタクシーの中で携帯を落としたおとうたん。

毎日がっくり肩を落としておりました。

大きな体(183センチでガタイもよし)で植え込みの隅っこを覗く姿は、もう可哀想かわいい……というかなんというか。

は!これが萌え??(違う)

美味しいものを食べ、楽しく毎日を過ごしていても、気になるのは

(僕の携帯どこなの?)しょんぼり。

日本で買うにしても、アメリカの契約ができないし、とにかく待つしかない状態でした。

毎日(警視庁遺失物検索)を見て、電話をかけたりの日々。 それも後半はあきらめムードで
「もうでてこないと思ったほうが良いよ」と言う雰囲気に。

そんな失意の日々に、母の所に一本の電話がかかってきたのです。

「さっき電話がかかってきたよ!原(仮名)ですけど、Tomotanさんの携帯のことでって」
「え~~その人が見つけてくれたの??」
「そうだと思うよ!」
「それでなんて言ったの?」
「携帯のことでって言った後に、この番号〇〇〇〇を控えてください。これがないとお渡しできない」って
「え?警察じゃないの?個人?」
「うん、原ですけど、しか言わなかった」

あ、怪しい~~~~~!!

というか、電話番号も言ってない。 そして母の携帯に残ってた番号は留守電サービスでした。
これじゃあリダイヤルもできない。

妹も「それ絶対に怪しい、お金要求されたら渡したらダメだよ」
母も「なんか気味が悪いねえ」

そんなもやもやな一日がありました。
まずは渋谷署に

「…と、こんな電話があったんですよ」
「なるほど、こちらには原という名前の警察官はいないですね」
「怪しいですよね!」
「そうですねえ、翌朝もう一回電話してください、係りのところに」(夜だったので、落とし物の人いなかった)

そして遺失物のところでも同じような感じで話をして、警視庁にも電話してみました。

「…と、こんな電話があったんですがどこの警察署とかわからないですよね」
「名前だけだとわからないですね。電話番号もなしですか?」
「はい留守電だったんです」
「ほかに何か言ってませんでしたか?」
「この番号で受け取れますって〇〇の〇〇」

といった途端に!!

「番号がわかればお探しできるかもしれません。 少々お待ちください」
「え!!お願いします!!」

そ~し~て~~

「こちらですね、西新井署に黒い携帯電話が届いています」

きた~~~~~~!!!!!

さすが警視庁!! ありがとう警視庁!!
綺麗な声の警察のお姉さん、ありがとう!!

多分最初の番号が(警察署の場所)それから次の番号が(遺失物)

もう飛び上がって喜びました! 夫は「本当にそれなのかなあ?」と心配そう。

なので今度は西新井署に電話です。

特徴が一致していること(日本で見かけないようなでかいクリップがついてる)
電源を入れた時に遺失物届けの名前(Tomotan)がでてきたこと。でわかったのだそうです。

そうだった!!何回か電話したんだった!!
それが着信で画面にTomotan!!
間違いないね!と

立川にいた私たちレンタルカーで西新井署まで2時間運転していき、無事に受け取ることができました。

いやあ本当に良かったです。

渋谷署に遺失物届けを出した時にかなり詳しく
(○日まではこのホテルです。 電話番号〇〇 それ以降は私の携帯番号は外国の番号ですが、日本で使えるようになっているので、こちらに電話してください。と書いたのです。
そして26日以降はアメリカへ帰りますので、日本のこの番号へお願いします。とここでは母の番号を書きました。

その書類を見た渋谷署の係の人が26日前だったのですが、確実そうな日本の電話番号を西新井の方へ伝えて、それで母のことろへ電話が行ったようです。

母は大喜びでした。 騙されたような気持ち悪い思いをしたのですが一気にヒーローに。

「本当にありがとう、助かったよ~夫も大喜びだよ」と言うと
「あの番号ね!!わあ、役に立ってよかった」と嬉しそうでした。

ずっと夫に対して
「アメリカでは本当に悪かった、何かできないかな」と言っていた母でしたので、なんか、最後にこういうことがあって良かったというか、それが理由だったのかな?なんてことも思いました。 嬉しかっただろうと思うのです。

それから、私も嬉しかったのは、アメリカではこういうこと一切夫がするのですが(電話で問い合わせとか) 役に立てなような誇らしいような気持ちでいっぱいでした。

ここオハイオでは日本語の会話は息子とだけなので、だいぶ日本語会話の感じを忘れていたんですが(笑)どんどん思い出して、ああ~まだちゃんと話せるぞ~なんて嬉しかったりもしました。

というわけで、誰にとっても大ハッピーエンドでございました。

今日は長文で失礼いたしました~。

2016年 日本旅行7 秋葉原と両国 妖怪展覧会

 

2016年 7月 日本旅行記7

旅行に行くときはいつも小さいノートをバッグに入れて行きます。
飛行機の待ち時間やホテルなどで、行った場所や短い感想などをメモして、それを見ながらブログを書いているのですが、ですが…

日にちが経ちすぎて思い出せません(笑)

昨年はすぐに書いたのでかなり詳しく書けたのですが、今メモを見たら…なんじゃこれ?遺失物センターの番号や警察署の番号ばかり。なんて優しい嫁なのかしら(笑)はい、毎晩いろいろ調べては電話をかけておりました。

今回の旅行で大変だったのは、これだけではなく、あちこちホテルを変わった事でした。
かなりギリギリに決めたので軍のホテルを続けて取れなかったのです。
部屋も一度変わりました。
軍のホテルにいたのは18日までで、その後立川に数日、最後は豪華にお台場のホテルへ。

移動は大変でしたけど、気分も変わるし、ホテルの近くで遊べるので良かったかもしれません。

……体力さえあったら(笑)

さて、横田基地に行ってかなり体力消耗してしまった3人。 翌日は秋葉原だけに絞ってでかけました。
この日も暑かった。 カッと照りつける太陽~。

 

 

日米両方で使えるドライヤーを買いたくて、お目当てのお店に行きましたが、
小さい~~狭い~~う~ご~け~な~い~~。

中国からの人がすごく多いですね。 人があまりにも多くて、田舎から来た私たちは
息がで~き~な~い~。

と、言うわけで、秋葉原歩きまわるのはやめて、駅前の大きいヨドバシカメラで買い物することにしました。

駅の通路にゴジラの展示がありました。

フィギアもかっこええ~~。 シンゴジラ、アメリカでも上映するようです。見たい!

 

ヨドバシのゲーム売り場の入り口 ダークソウルの像 オタク心に響く~。

 

 

甥っ子のバースデーのギフトを探したのですが、つい目が行くのはこんなん~。
ぐでたまに去年からハマってガチャガチャをしまくったり(やめなはれ) 小物を購入したり。

 

 

小さいおもちゃ好き❤食玩にはまったこともありました。

この骸骨シリーズもよくできてる。
日本は小さくて可愛い物が多いですね。

 

 

そして、ちと飛ばして翌日です。

この日は見たかった(大妖怪展)を見に両国にある江戸東京博物館
ここ大好きな博物館です。注2023年なんと閉館していました。悲しい!!

もう終わってるんですね。
貴重な絵画を見ることができて大満足でした。 幽霊画だけはあまりの怖さに早足で素通り(笑)

 

 

 

写真は禁止だったので、妖怪写真はなしです。
本を買えばよかったなと思うのですが幽霊画が怖すぎるのでパスしました。
何回か書いていますが、私は夫ママや自分の親は幽霊でもいいから会いたい、話したいと思っているんです。

でも~~この掛け軸絵は怖すぎる~~~~。 こんなの見たら泣きます。

日本ではルノアール展もやっていて、これも見たかったなあ。 残念です。

この江戸東京博物館は江戸の町並みを再現してあり、ジオラマがあったりしてとっても面白いんです。

注 2023年 もう一回行きたかった。本当に残念

 

この時泊まっていた軍のホテルは広尾からちょっと距離があるのです。
あまりの暑さに毎回タクシーで渋谷や恵比寿駅まで移動していました。

そして毎回、「お忘れ物、落し物ははございませんか?」と聞かれ、領収書をいただけました。

もしやタクシー協会に夫のニュースが広まった?と思ったくらい毎回でした。

あの日以来すっかりしょげてる、おとうたん。

ホテルの前の植木の茂みを覗いたりしてる姿がかわいそうです。

続く!

2016年 日本旅行6 友人と横田基地へ

 

2016年 7月11日からの日本旅行記を書いています。

初日は成田に泊まって疲れを取り、2日目は広尾にある軍の基地に移動して東京で遊ぶ。…の予定でした。

が、しかし!

予定を組むときに気温を全く考えてなかった私たち。 東京駅当たりでよれよれになりました。

広尾のホテルにチェックインしたあたりで……終了~~~。

もう疲れたからタクシーで恵比寿に行き、帰りに携帯落としたよ、まで書きました。

今日はその続きです。

。。。。。。。。。。。

2016年 7月 日本

前回からの続き

「うわ~~~~~携帯がない~~」と走ってホテルの前に行きましたが、もちろんタクシーは走り去った後。

ゲートガードに(軍のホテルなので、ゲートがあります。入るときにIDチェックが有ります)
「タクシーに携帯忘れたんですが、連絡の方法ないですか?」と聞きました。

「タクシー会社に連絡は?」
「それがどの会社かわからなくて」
「領収書もらってないですか?」
「もらってないです」(なんと、この時だけもらってないのです。この後乗ったどのタクシーも言わないのにくれました。とほほ)
「じゃあ次の人が電話に出るかも。ずっと電話してみるとか?」
「あ!じゃあそうします」

何回も電話したのですが、でなーーい。

しばらくして夫が 「あ、サイレントにしてるかも」

えええ~~ぢゃあ、ダメぢゃ~~~ん。

部屋に帰り、ネットで色々調べて電話もかけました。

はい、日本語ペラペラのTomotanさん、大活躍(笑)

白いタクシーは個人タクシーが多いこと。 そして協会があることを調べメールと電話。
警察庁の遺失物を調べられるページもあったので、それもチェック。
警察署にも電話。 翌日一番で遺失物届けを出すことに。

次の日は友人を横田基地に連れて行く約束をしていたので、その前に寄ることにしました。

翌朝、タクシーで渋谷署まで行きました。 入り口で名前など書きカードを首に下げ2階へ。
遺失物届けなるべく細かく書き、この時に私の携帯番号を書いたのですが、アメリカの番号だったのです。
ここで使っているスマホを国際仕様にして持ってきたのですが、このことが後ほどちょい混乱を招くことになります。

さて、13日。

渋谷から立川まで行き、青梅線に乗り換えて福生駅まで。

一緒に行ったのは、いつも登場する親友のイルカちゃん。
それから中学のクラスメイトで、いつも私たちの来日時(笑)には皆で会えるように骨を折ってくれるM君。

Mくんを7年前に基地に連れて行くねと約束したまま、行けなかったのです。
約束は守る男らしいTomotan(笑)今年こそ、行こう!と決めていました。

Y基地へはミリタリーのエスコートが必要なのですが、厳しくなっていました。

電話で聞いたところ
必要な物は写真付きの身分証明書。 パスポートもしくは免許証。 ただし本籍の載っているもの。(注2016年の情報です。 よく変わるので詳しくは基地に連絡してください)

ん?今のは本籍載っていないの? 知りませんでした。 暗証番号が必要なのだそうです。

2人に聞いたところ

「覚えてな~い」 えええ~~~。

なんとか探してもらったり警察で聞いてもらいました。(交番ではなく警察署で教えてもらえるそうです)

メインゲートの左にあるビジターセンターへ。

私のエスコートで前は友人も入れたのですが軍人のエスコートが必要なようでした。
夫のIDそれからサイン。 友人の住所や行く場所、時間なども記入。 写真も撮り仮IDを作ります。

いつからこんなに厳しくなったのかな? 私自身7年ぶりだったのでびっくりしました。

無事に基地に入り、まずはランチ。 お店も入っているフードコートでピザを。
買い物はできないのですが、食事はOKです。
食品を扱っているコミサリーは見学さえできなくなっていました。

ランチを食べ、アイスを食べ、あれこれ見てから向かったのは…スロットマシーン❤
ここは違法ではないギャンブルができます。 規模は小さいですがチャレンジM君。

 

とりあえず20ドルカードを買ったら……

うわ~~5倍になった~~~~102ドル!!

 

男性3人はカジノ。私とイルカちゃんはずーっとおしゃべり。

5時から開く隣のバーに移り、さらにおしゃべり。 う~~ん楽しい❤

その後この基地にいつの間にかできてたチリーズで夕食を食べました。

Mくんはハンバーガー。 イルカちゃんと私はサーモンとチキンをオーダーして半分こ。

 

アメリカと同じチリーズですが、ここのほうが美味しかった気がします。

 

生憎の雨でしたがとても喜んでもらえました。 わ~良かった!!
イルカちゃんは何回か来ていたのですがMくんははじめてでした。
「7年待ったかいがあった」と言ってもらい嬉しかったです。

「これ珍しい~!」と写真に撮っていたのが…

トイレの下の隙間(笑)アメリカのトイレはドアの下にかなりの隙間があります。

確かにもう当たり前になりましたが、私も最初見た時ぎょっとしたなあと思い出しました。

おみやげもありがとう。 紹介しちゃいます。

私たち3人に扇子~~
私の好みわかってるね~きれい~。

 

それとお母さんの手作りのポーチとコースター。刺し子の布も頂きました~!!

イルカちゃんからのプレゼントはまた後ほど~。

夫も息子も 「あああ~~楽しかった~~~」と大喜び。

スマホ紛失がなければもっと楽しめたのにねえ。

それにしても日本は暑い。

3日目にしてオハイオ人の3人は体力なくなってしまったのでした。

続く。