アメリカに日本の親を呼ぶ方法と体験談

 

メールで(親の呼び寄せと保険)についてのご質問をいただきました。その方は、とある掲示板(海外在住者同士の情報交換ができるところ)で質問したところ、どなたかが(アメリカで猫とのんびり)このブログを紹介してくださったそうです。

細々とやっているブログが誰かの目に留まってお役に立てたのでしたら、本当にうれしいです。

なので、今日は(日本人の両親をアメリカに呼びよせたい方のため)に私の経験を書きます。

過去記事 母の命日でした

にも書いたのですが、以前していた別のブログに親の呼び寄せと市民権の取り方を詳しく書いていました。ただもうすぐ10年になりますので、情報も古いかと思い削除してしまいました。その頃の経験ももしかしたらお役に立てるかもしれないのでまた書きますね。

ほぼ10年前でミリタリー関係の経験になりますので、皆様には当てはまらない場合も多いと思いますが一人の体験談として書きます。

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2009年 秋ごろ 日本の母がアメリカに来て一緒に暮らすことになりました。

以前から話しあいはしていましたがその年に急に来ることになったのです。慌てていろいろ調べることになりました。

夫は空軍だったのですぐに扶養家族の手続きをしに軍へ行きました。こちらは早く受理されて扶養者用のIDカードを作ることができました。配偶者や子供と同じく基地内に入れ、BXや食品店で買い物ができるものです。

夫が母の永住権のスポンサーになる予定だったのですが、実子しかスポンサーにはなれないことをアメリカに母が来てしまってから知りました。

無知で恥ずかしいですが、夫がなれるものだと信じ込んでいたのです。

アメリカ国籍をとることには全くためらいはなかったのですが、全然勉強していなかったので慌てました。その日から勉強を始め、調べものをして弁護士に相談しました。(LAの新聞によく載ってる、最初は無料という相談)

観光ビザのままアメリカに入国してしまった親の永住権についてです。ビザの期限より遅くなったらどうするかなどを相談しました。この場合はもう書類などがそろっていたので少しなら問題ないだろうという答えでした。

移民局に行き書類を出し、試験の日が決まり合格し、その後セレモニーが行われたのは2010年の春でした。

夫が手紙を添えてくれたからか母のグリーンカードはとても早かった記憶があります。

費用は母がビザからグリーンカードへのステイタスチェンジということで1000ドル以上かかり、私もグリーンカードの更新費用を払ったばかりだったのにそれを破棄。市民権の申請にも当時600ドルかかりました。

書類や費用などは詳しくはUSCISのサイトをご覧ください。(us citizenship and immigration services)

扶養になれたので持病があった母のためにすぐに病院へ行きました。ここでも問題がありました。軍はTRIケアという保険があります。

配偶者や子供たちは無料で治療を受けられます。私の乳がん治療もすべてこの保険のおかげです。

母の場合は確か全てカバーされなかったと思います(こちらも軍で違うと思います)日本から持ってきた薬のリストで軍では支給されていなかった薬があり毎月薬局で買うことになりました。

日本の家族を呼ぶときに一番ネックになるのが保険だと思います。一番優遇されている軍でも基地の病院まで行かなければならずに大変でした。オフベース(基地の外)でTRIケアが適応される病院は限られていました。

それからやはり環境の変化は高齢の母には厳しかったと思います。若い頃から基地内で働いていて英語も堪能で食事も肉が大好きでしたので問題ないと思っていました。

LAに2年住んでいた頃は日本食店がたくさんあったので週に1度は和食材の買い出しにでかけて、本や雑誌、日本のドラマのDVDなども手に入りましたから楽しそうに暮らしていました。

変わったのはオハイオに引っ越してきてからです。LAに比べてあまりにも何もない暮らし。日本からさらに離れた気持ちで鬱のようになっていったのです。

その頃心臓に欠陥が見つかり、緊急ではないけれど手術した方がいいと言われて基地内で手術する予定でしたが、予算の関係でできなくなりました。オフベースの病院を勧められました。

何もかもスムーズにいかずに母はすっかり塞ぎがちで毎日泣く日々で、この頃が一番大変だったと思います。

「じゃあ気分良くなるように日本に2週間でも行って来たら?」と旅費を工面しました。本当は数年帰っていなかったので私も行きたかったのですが、これまた予算の関係で。

恋焦がれた日本を見て帰国の意思を固めた母。アメリカに帰ってくるなり「余生は日本で暮らしたい」と言われ私たちも当時相当もめましたけれど日本に帰ることになりました。

アメリカに来てから3年くらいでした。

日本から送った荷物をまた日本へ送るのも大変でしたし、グリーンカードもIDカードももちろん破棄です。

日本に帰った母は私たちに悪かったと言いつつもとても幸せそうでした。

最初は私も夫に悪かったと母に怒りを感じていましたが、後からできることは全部やった達成感と幸せで良かったなあという思いでした。

そして、3年前に母は亡くなりました。

ちょうど3年前の7月会いに行き食事をして笑いアパートも見せてもらい楽しいひと時を過ごしてアメリカに帰国して1週間後に他界したのです。

経済的にも体力的にもギリギリでしたけど、すぐに飛行機の予約をして日本に帰りました。

アパートの片付けのために妹とドアを開けた時の気持ちは忘れられません。ひとしきり泣いた後、周りを見渡すといつも話をしていた「夢の部屋」そのものがそこにありました。

「何でも手が届いて、好きなものに囲まれているのがいい」「好きな絵を毎日書いて好きなものを食べたい」よくそう言っていました。

小さい冷蔵庫にアメリカでは買えない好物のものが入っていたのを見て「帰ったのは正解だったんだな。本当に良かったんだな」と思えたのです。

英語もペラペラまでではないですが話せましたし、洋食も大好きでしたけど、それでも高齢になってからの外国暮らしはつらかったんだなと思いました。

なので外国暮らしを考えてられるご両親の場合はとりあえずビザぎりぎりまでの日程で過ごしてみるのがいいと思います。

アメリカの場合保険が大きな問題になります。5年間アメリカに住むとメディケアに入れますが、その間病気にならないという保証はありません。

民間の保険もピンからキリまであるのでよく調べてみるのが良いと思います。母の手術はオフベースで保険なしだと4千万円かかると言われました。これはオーバーではなく家も財産も失った人を知っています。

それから考えたくないと思いますがアメリカで亡くなった場合のお葬式もかなり高額だったと思います。

呼び寄せはとても大変でした。でも私の場合はその経験ができて本当に良かったと思います。

もし何もできないまま日本で母が亡くなっていたら一生後悔したかもしれません。できることは全部やったというのは自己満足かもしれませんが、母にとっても外国暮らしを経験して「行けばよかった」という悔いはなかったのではないかと思います。

外国で暮らす子供と一緒にいたいという気持ち。遠くに住む親を呼びたいという気持ち。とってもよくわかります。

うまくいくことを願っています。

長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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