やる気が起きない日々と読書

なんだかやる気が出ない日々……どうしよう。

ブログも毎日、せめて一日おきと思っているのにあああ!!っという間に日にちが5日も6日も過ぎているのはなぜなの?笑

本の感想を書こうかなと思っているんですが、そんなの読みたい人いないんじゃないの?と心の中の小さな暗い人がささやくの。

 

それにしても「事実は小説より奇なり」って本当ですね。

海外スリラーやミステリーが好きで本の中で派手な脱出劇がでてきます。

「いやあ、こんなのできないでしょ?」って思うようなことを……やりましたねゴーン被告 よく考えたなあ。そしてこの後どうなるんでしょうか?

驚くニュースが最近多くて、アメリカ国内も大きなことが起こっていますし、イギリスのロイヤルファミリーも大変です。

そんなことをあれこれ読んだり考えたりしつつ、ご飯を作ったり洗濯したりで一日が終わってしまいます。

映画やドラマもあまり見なくなって、Youtubeをぼーっと眺めたりして時間が過ぎていきます。あああ~これはいかん! 落ち込むちょっと前みたいな感じですね。そのうちアイデンティティーがああとか言い出しちゃうから。

ちょっとどんよりなそんな日々。昨年後半からまた読書にのめりこんでいます。

昨年の終わりから今年にかけて読んだ本「スキンコレクター」ジェフリーディーヴァー。がすごくおもしろかったです。

 

 

リンカーンライムシリーズです。

一番好きな第一作目の「ボーンコレクター」映画にもなりましたけど本のほうがうんと面白いです。四肢麻痺でほぼ寝たきりで証拠品から推理するリンカーンライムシリーズ 毎回大きなドンデン返しがあるし、周りを固めるキャラクターも好きで本当に好きなシリーズです。

「スキンコレクター」と言っても羊たちの沈黙のような「皮膚をはぐ」ではなくて、タトゥーを扱っていて、読み応えありました。

2作目の石の猿 それからコフィンダンサー、エンプティ―チェアー、魔術師。までハードカバーで買い、その後文庫本を待つようになりました。

で、何作目かなと調べたらスキンコレクターは11作目で10作目のゴーストスナイパーを飛ばしてた!!

慌てて注文しました。読みたくないときもあったりして、そういう時は買っておくことにしています。積読本。数年後に読むこともあります。そして買うの忘れたりします。←今ここ。笑

本、特に海外ミステリーはたくさん刷ってくれないので(たぶん)売り切れて手に入らなくなっちゃいます。オハイオにはブックオフもないので(ハワイとLAにはあった)好きな作家はとりあえず買います。

大失敗!てのもありますけど、パラパラ読めないからしょうがないですね。

電子書籍に移していきたいと思っていますが、普通のタブレット(またはスマホ)小説の字は読みにくいです。大きくできてそこはいいのですが電気が目につらい。反対に漫画は読みやすいので、まんがはほぼ電子書籍です。

電子インクを使っていて目に優しいキンドルホワイトが欲しいのですけど、肝心のキンドル本が海外ではまだ買えないので、解禁を待ってるところです。アマゾンさん、早く。洋書じゃなくて日本語訳が読みたいのです。

日本の本を買えるようになったら、キンドルホワイト購入決定ですね。それまではスマホで漫画、アイパッドで雑誌買います。

昨年日本でかなり本を買って来たのですがエッセイ本など軽いものが多くてあっという間に読んでしまいました。

ものすごく話題になっていたから買ったけどつまらなかったものがあったり、意外とおもしろいのがあったり。本の出会いもいいものですよね。

大きい本屋にまた行きたいなあ。

なんかいろいろ寂しいなあ。

日本に行っておいしい和食を食べてお話して本屋に行きたいなあ。しゅううん。

 

 

 

 

クリスマスイブにやっと復活しました。回転性めまいで倒れた話

 

10日ほど前のことです。ベッドから起き上がった瞬間、猛烈なめまいに襲われました。

くらくらっと何回か天井が回るような眩暈は経験したことありますが、こんなに激しくひゅんひゅんと世界が回るめまいは初めてでした。

一度横になると収まったので、もう一回起き上がってみるとその瞬間全く同じ猛回転が始まって、立ち上がることもできません。

 

夫に「Dizzyで起きられない」とテキスト(携帯メッセージ)横になってじっとしているとおさまるのですが、少しでも動くとすごい眩暈と吐き気がはじまります。

ベッドで休んでいたのですが水やゲータレードも吐くようになってしまい、脱水も心配だし病院へ行こうと夫。でもこの状態はとてもじゃないけど動きたくない、数時間待っても収まる気配がなかったので観念して病院へ行くことに。

起きるのもトイレにいくのも着替えるのも眩暈と吐き気の戦いで、どんどん、具合が悪くなっていきました。

週末だったのでERという病院の緊急治療室へ。車の中では目もあけられないほどの気分の悪さ。こんなにひどいの初めてでした。

ERは待たされるのを覚悟していたのですが(数時間待たされたことあり)ここはシステムが良い病院ですぐに病室へ。

 

目をつぶったまま、名前や誕生日など答えつつ症状を説明し、最初にすぐにECGという心電図の検査、それから点滴。ここに吐き気止めのゾフランという薬を別の注射器でいれてもらいました。あっという間になくなる吐き気。

この薬は抗ガン剤の治療中にずっとお世話になった吐き気止め。一瞬で吐き気が収まります。それから眩暈を止める薬をのみ、数分後やっと目を開けられるようになったので目の検査や指の検査などして診断が Vertigo (回転性のめまい)でした。

Vertigoとは

めまい(Dizziness) 回転性めまい(Vertigo)の違い MSDマニュアルより

めまいとは厳密な用語ではなく、以下に挙げるような関連する様々な感覚を表現するためによく使われます。

気が遠くなる(気絶しそうになる感覚)

ふらつき

バランスを失ったり不安定になる感覚

漠然とぼうっとする感覚または頭がくらくらする感覚
立ち上がったときにだけ起きるめまいについては、 立ちくらみを参照してください。
回転性めまいとは、次の感覚です。

動いているような感覚

回転性めまいでは、通常、自分自身か周囲のもの、またはその両方が回転している感覚が生じます。この感覚は、子どもの遊びで、その場でぐるぐる回ってから急に止まると周囲のものが回転しているように感じるというものがありますが、それとよく似ています。ときに、左右片側に引っ張られているように感じるだけのこともあります。回転性めまいとは診断名ではなく、ある感覚を説明したものです。
めまいや回転性めまいがある場合、吐き気や嘔吐があったり、バランスが取りにくい、または歩くのが難しいことがあります。

。。。。。。。。。。。

そして、この(回転性めまい)の原因になるものが

良性発作性頭位めまい症

メニエール病

前庭神経炎

内耳炎

前庭性片頭痛

とされていて、数日後に病院でフォローアップで検査をしてもらったところ、一番上の良性発作性頭位めまい症 ではないかと診断されました。

英語ではBenign paroxysmal positional vertigo で通常BPPVと訳されます。こんんなの発音できる人いるの?と思ってたら病院のナースさん(アメリカ人)「発音できないけど、あれかな?」って夫が「BPPV?」というと「それそれ!」」という会話を目をつぶったままERで聞いていました。笑

 

これほどの激しい眩暈と吐き気なのに命に別条がない病気で治療法もそのうちに治るといわれ(内耳の耳石の浮遊が原因で元の位置に戻ると治る)びっくりしました。

もうその具合の悪さは、この世の終わりのよう。私は乳がんで治療していますが、がんはかなり大きかったのに体調に変化はほとんどなかったのです。発覚するまですごく元気でした。こんなにひどい症状の病気ははじめてです。

数日はベッドから全く動けずスマホさえ触れず、回転を止める薬を1日3回飲んでずっとずっと眠っていました。(アンチヒスタミンが入っているのでずっと眠い)目が覚めて頭を動かすと気分が悪くなるので寝ているのが一番良かったです。

やっと動いて少しづつ何か食べられるようになったのが5日目くらい。回転は収まってましたけど、足がどうにもふらついて何もできませんでした。

食事を少しづつ増やして家事ができるようになってきたのが1週間後。そして今日は10日目くらいですが、足もしっかりして、ほぼ復活です!

グーグル先生にどのくらいで治るかきいたら3週間から6週間と書いてあってがっかりしましたけど、それより前に治りました。良かった~!

クリスマスディナーも作り、このブログも書ける。普通のことができる幸せ。素晴らしいことです。

いつものように3人でクリスマスのハムなどを食べて、なんて幸せなんだろうと再確認しました。

プレゼント本当に何もいらない、と思いました。私には家族と健康が一番です。

この病気は年齢が高いほど発症しやすいそうで(うん、だと思った)気をつけなければいけないですね。階段で、とか運転中にとか考えると本当に怖いです。

今回も猫先生が添い寝治療してくれました。笑 ありがたいです。

 

 

 

 

イチロー選手の引退会見の言葉で思ったこと。

 

イチロー選手の引退は日本では大きなニュースだったのではないでしょうか?私もSNS、おもにツイッターで流れてくるニュースを読み、会見の一部も見ることができました。

イチロー選手の引退会見で、心に残った言葉がありました。忘れないようにここに書き残しておこうと思います。

孤独感を感じながらプレーしていたのかという質問に、それはないと答えた後

 

イチロー選手の会見より ここから。。。。。。

それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分があらわれたんですよね。

この体験というのは、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は思います。

だから、辛いこと、しんどいことから、逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく。そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなと感じています。

。。。。。。。ここまで

 

胸に刺さりました。

アメリカに来て驚いたこと。それは自分が外国人になったことでした。

特に25年以上前の日本は(日本には日本人しか住んでいないのが当たり前)というような風潮でした。

結婚して基地の外に家を借りようとしたときに(外国人お断り)がほとんどで、これは自分が外国人、もしくは外国人の家族がいる人しか知らないことでした。

夫は日本が大好きですが、こういう時は落ち込むことも多かったです。

あちこちでこういう目に見えない(差別)にあい、文句も言いましたけど、私の一言では何も変えることはできませんでした。

私は憤りを感じながらも「日本ってこういう国なんだよね」とあきらめていたことも事実です。

そして渡米してアメリカ暮らしを始めて、今度は私が外国人になりました。

いきなりマイノリティーというカテゴリーになり心底驚いたのを覚えています。アイダホの田舎町での生活はつらいものがありました。

どこに行ってもジロジロ見られます。そう夫に言うと「それが日本での自分だったよ」と言われハッとしました。確かに当時はジロジロと見られて私は気にしていませんでしたけど夫の気持ちはどうだったのだろうと、やっと考えることができたのです。

アイダホのある街で「日本人?初めて見たよ!」と言われたこともあります。私は見られるのもすぐに慣れて、こちらからハーイと挨拶するようになりました。

そして初めて会う日本人が感じ悪くてはいかん!!とどこに行っても愛想振りまき(笑)ある意味日本を背負っていたと思います。

近所づきあいを積極的にしてアメリカ人の友達も増えて、そういう気持ちを吐露したこともあります。

友達が増えても群衆の中の孤独、深い孤独感に悩まされることも多かったです。

辛い数年を過ごしてまた日本の基地に異動になったとき、日本国を見る目がすごく変わりました。外国人というマイノリティーに対する思いも。どんな気持ちでいるのかも。

日本に帰ってすぐに、本当にすぐに中古車のお店で「Yナンバー(横田基地)には車売らない)と言われ、福生にあった有名レンタルビデオ屋では「外国人は家族でもカード作れない」と言われました。

その時にはもう「しょうがない」という気持ちは全くなく「こういうことを変えていきたい」と思いました。

ビデオ店はその支店だけの決定だったようで本社から丁重に謝罪され、改善されました。お店側でも多分たくさん嫌な目にあったのだと思います。他の基地のそばにあったビデオ屋では「返さないで本国に帰って困っている」と言われ、基地の電話番号とかけ方など教えました。

日本にいたころ、どちらの気持ちも分かったので、いろいろなことが改善されたらいいなと気がついたことは電話かけたり基地側にも話をしたりしていました。

しばらく架け橋を続けたいと思っていたのですが、そんなある日乳がんにかかり、またアメリカ(ハワイ)に行くことになったのです。

そこからの数年は闘病で自分のことで精一杯でした。家族に支えられここまでやってこられました。

夫と息子には感謝の言葉しかありません。

猫家族も増え、いつも仲良く楽しく暮らしています。

それでも、時々どうしようもない孤独感に襲われる時があります。

日本に帰りたいなあ。

そう思った時に

ああ、もう日本人じゃないんだなあ。帰れないんだなあ。

と思い泣きたい気持ちになります。

本当に家族と別れて日本で一人で暮らしたいわけじゃないんです。それでも、時々、そういう気持ちになったときには今度は(外国人)として日本で暮らさなくてはいけないんだなあと思いました。

3か月だけ。

切ないような悲しいような気持になるときがあります。

特に桜の季節に(桜が咲き始めた)と写真を見たりすると、どーんと沈みます。大好きなんですけどね、だからこそ辛かったんですね。

昨日はそんな日でした。深い孤独感に沈んでいた日。

そんな日にイチロー選手の会見の一部を見て「ハッ」としました。

この経験があるから、人の痛みも想像できるようになったんだなと。そして自分はそれを受け止めればいいんだなと。

そう思うとアイダホでのあの生活があってよかったなと思います。そして何もないあのド田舎生活があったからこそ、オハイオのこの生活もサイコーと思えます。ってどっちにも失礼ですね(笑)

いろいろな経験をして、辛いこともあるけどいつかは自分の糧になる。そう信じています。