まだまだ情緒不安定な日々。そして4th of July

にゃんずがいない日々。

もう大丈夫だなーと思う日と、悲しくて悲しくて涙が止まらない日があります。

コタちゃんの時も長く悲しかったけれど、チャチャがいたので、気持ちが違っていました。

家の中に動物が全くいないのがさみしいですね。

夫の知り合いの方が馬を飼っていて、ホースセラピーをされているそうなので行ってみようかなと思いました。

病院で闘病中にもドッグセラピーにどれほど勇気づけられたかわかりません。大きなシェパード犬で背中に顔をつけたときの暖かさ、伝わる鼓動のやさしさ。抗がん剤中だったので、本当に癒されました。

動物の癒し効果、本当にすごいんです。

私たちもコタとチャチャに何度も何度も癒されて助けられました。

同じくらいの愛情を伝えられたかな?幸せだったかなといつも考えています。

 

あっという間に日にちが経ってしまいましたが、ここから下は7月4日に書いたものです。独立記念日について書いて投稿しようと思っていたもので、なんだかそのままになっていました。気持ちがアップダウンしてしまっています。でもブログを書くと(特に映画ブログ)気持ちが切り替わって楽しいので、書いていこうと思っています。

 

。。。。。。。7月4日 。。。。。。。。。

 

1776年の7月4日 北アメリカの13州が英国植民地からの独立を宣言。アメリカ合衆国(United States of America)が誕生しました。

はい、これテストに出まーす(本当)独立した13州のうち4州を答えなさいという質問でしたが時間がなかったので4州だけ暗記した思い出……(母の呼び寄せのために市民権をとったのですが、テスト受かる前に、もう母が来てしまっていたw 弁護士に慌てて電話してぎりぎりで市民権を取りました)

100問のアメリカの歴史、政治のテストを勉強しました。夫はたぶん普通のアメリカ人より詳しいかもと褒めて?くれます。

でもそういうものかもしれないです。

私は日本の歴史が苦手です。ドラマShogunを見て、すごくはまったので徳川家や大戦のあれこれを勉強したい。歴史の勉強は年号の暗記ばかり、名前も似てるのが多いし、なんせ漢字が苦手ですっかり日本史嫌いになってしまったのですが、今ならやる気ありますw

Shogunは名前こそ違うのですがモデルになった人物にかなり沿って書かれているので、なにか本を買いたいなあ。ちなみにShogun虎永のモデルは徳川家康だそうです。大阪城にもぜひ行ってみたいと思っています。

ドラマや映画の影響ってすごいですよね。昔から映画が好きで、英語を勉強しようと思ったきっかけも映画です。

中学に入って勉強するのが楽しみだったのに、いきなり習ったのがThis is a pen(アメリカ生活で使ったのがたったの1回だけw)

それ以上に現在完了進行形、過去分詞とか日本語が難しすぎる!英語嫌いになっちゃいます。

今はどういう勉強方法なのでしょうか?英語圏の先生がHi~~って言ってくれたほうが入りやすいと思うなあ。

当たり前ですが、テレビをつけても英語だけの国に住んでいて見たドラマShogunの日本語が美しくて涙が出そうでした。

大好きなドラマをしばらく見られなかったのも「もうやだ、疲れた字幕つけてくれ~」wみたいな気持ちになることが多かったからなんです。

名作ですがワイヤーは難しかった。ちなみに何度か夫に聞いた言い回し。夫も「う~んわからない」えええ?てなことが多くて気にしなきゃいいんでしょうが、めっちゃ気になります。そしてあるぎ突然疲れてしまった。

特に13人の法廷陪審員の召還を受けたときに「なんでこんなめに!!」アメリカに住む者の定めなんですが、その前から「ああもう帰りたい美しきジャパン~」と思っていたので、心がぽっきりと折れてしまった。

そんな日々ですが、7月4日は特別な気持ちになります。いつも日本日本言ってるのに、突然アメリカ我が国、みたいな気持ちになったりもします。

ようするに……どっちも大好きな国ですW

自分の国が2つもあってうれしいなという気持ち。

でも、ここ数年はコロナの影響もあって、かなり精神的に疲れてうつ病発症していました。日本に帰りたいしか考えられなかったなあ。

でも今はがっつり根を張ったこの大地を拠点に、せめて年に一回は日本に行きたい。できたら2回~と思います。ああ、もう5年も帰っていないコンビニに行きたい!

 

チャチャちゃんもお空に帰りました。すごく悲しいです。

 

 

5月の初めにチャチャがお空に旅立ちました。

 

ほぼ2週間たち、やっとブログが書けるようになりました。

 

1週間くらいは、家のどこを見ても思い出して泣いてばかり。それから少しづつ落ち着きましたが、時々どっと悲しみが襲ってきます。

 

心ではわかっていても、目で探してしまいます。

いつもすわって外を見ていた窓辺、シャワーの後ドアの前で必ず待ってたこと、枕の横でいつも寝ていたので、ポンと乗ってこないことなどがすごく悲しくて。

そこにいないことがどうしても耐えられなくて、つらいです。

 

 

チャチャの病気が発覚したのが2024年の1月末。ものすごい大食漢だったのに、食欲が落ちてきたので獣医に連れて行きました。

検査の結果、癌でした。こたちゃんは悪性リンパ腫 チャチャちゃんは細胞から脾臓に広がったレアな癌でした。

すぐにコタちゃんと同じかかりつけの獣医で同じ腫瘍専門医のところで治療が始まりました。

獣医の先生は抗がん剤が効けば13か月くらいは大丈夫と思うとおっしゃられたので安心していました。

抗がん剤も錠剤で(こたちゃんは病院での点滴)初めのころはすごく元気がよかったので、本当に病気かなと言っていたほどです。

病気が分かったので4月の日本行きは全部キャンセルして「そばにいるからね、治療頑張ろうね」と言っていたんです。

一年元気なら来年は15歳で猫生の平均年齢だと知っていたので、少しあきらめもついていました。本当は20歳でも30歳でも生きてほしかったけど、15歳なら仕方ないことなのかなと。

コタちゃんの時は平日に獣医に連れていき、この数値では余命は数日と言われ、抗がん剤が効けば3か月から6か月だと。そしてそれから6か月闘病して生きていてくれました。元気な時も多かったんです。

でもチャチャは反対に13か月といわれたけれど、抗がん剤が全く効かずに、たった3か月で旅立ちました。

元気だったのに、あっという間に食欲が落ちて、やせていき、元気がなくなって。

まだまだ立ち直るのに、時間がかかると思います。

ただ、すごく苦しまなくてよかったのと、すごく仲良しだったコタローと会えたかなと思っています。

コタちゃんが旅立った後、チャチャはまだ元気で、泣き出すと何となく空気を読んで(そういうムードメーカーなところがあったんです)面白いことしたりして皆がまた笑えるようになりました。

だからコタがいなくなった悲しみを紛らわせてくれていました。自分も寂しかったと思うんです。時々探すようなそぶりをしていました。

今回は特に皆参っていました。猫がいない生活。

最後の日は「チャチャかわいい、大好き、ありがとうね」と繰り返し3人で何回も号泣しました。

コタもチャチャも一度も引っかいたり、噛んだりしたこともなく、とにかく優しい性格でした。

コタはやさしくおとなしい性格。チャチャは思いやりがあって(泣いていると必ず付き添ってくれたり、病気の時はつききりでいてくれました)おちゃめな性格。何度も助けられました。

 

昨日お骨になって帰ってきました。コタと同じ桜材の小さな木箱。並べて置くと、いつもいつもくっついて寝ていたみたいに見えて「コタに会えたね、また一緒にいられるね」と言って、また号泣してしまいました。

 

一緒に暮らせたこと、うちに来てくれたこと。

本当にありがとう。

今は本当にさみしくて悲しいけれど、幸せだった日々を絶対に忘れないよ。

ありがとうね。

 

チャチャ14歳になりました。病気も発覚

 

我が家の愛猫 チャチャ 家族の一員です。

2月6日 14歳になりました。

人間でいうと72歳だそうです。

でも、まだおやつも食べるし、遊ぶよ?

 

 

 

ロスアンジェルスに住んでいた時にコタローとチャチャの兄弟をアダプションしました。保護猫です。

小さかったね。

 

 

一緒に抱き合って寝ていた兄弟を、夫は涙目で引き離せないと言い2匹とも我が家に来ることになりました。このエピソードはブログに何十回もしつこく書きました。笑

赤ちゃんの頃のお気に入りの「きゃい~ん」の写真 笑 ううコタちゃん!

 

 

 

カクヨム アメリカで猫と暮らす というエッセイにも「初めましての日」に詳しく書きました。

抱き合って寝ていた子猫は大人になってもずっとずっと仲良しで、いつも一緒。大人になってもいつもくっついて寝ていました。

そんな仲良し兄弟だったのですが、昨年の春コタローちゃんが悪性リンパ腫で旅立ちました。

コタちゃんを忘れる日は一日もなく、今でもふとした瞬間にどっと涙が出てしまいます。家の中の小さなひっかき傷を見つけた時とか、好きだったおもちゃを見た時に。

今でも写真をなかなか見られません。今、上に赤ちゃんの頃の写真を貼り、胸が苦しくなりました。

誰にでも、いつでも優しくて、かわいかったコタローちゃん。

夫は全然立ち直れていないと思います。

チャチャはしばらくコタローを探すようなそぶりをして、夫を泣かせていました。でも私はなんとなく、わかっていたのではないかなと思っています。

コタローがいよいよ具合が悪くなった夜、しばらく距離を置いていたチャチャが(抗がん剤や病院の匂いがしたからだと思っています)ぴったりと寄り添っていました。

その姿が目に焼き付いています。

そして弟思いの優しいチャチャちゃんも病気になってしまいました。

いつか病状を詳しく書こうと思っていますが、やはり食欲不振からおかしいと病院へつれていき、検査結果が悪いものでした。

その日はショックで泣いてしまいましたが、それでも投薬で1年以上は大丈夫だろうということでした。

少し安心しました。1年後は15歳なので家猫の平均寿命と言われているので。これは仕方ないことなのかなと思ったり。でも本音を言えば、もっともっと長生きしてほしいのですが……。

そして今は家での投薬で元気いっぱいです。(チャチャはもともとアクティブでいたずらっ子で元気)元気が戻って嬉しいのですが、薬を飲ませるのが、ちと大変。

そして薬係の夫はすっかり嫌われてしまい、一番ネコ思いなのに、シャーされて(というか、もともと、すごくシャーされる笑)しょげています。

ずっと私の後をついてきて、そばにいて、かわいくてしかたありません。

今はすごく元気でいますが、もうペットホテルに預けたりはできないので、日本旅行はまたキャンセルします。実は去年の11月に飛行機とホテルをキャンセルした後に今年の4月に行く予定でした。

自分のメンタルも危うかったので、「祖国に帰る!食べたいものを食べて会いたい人に会って、買いたいもの買うぞ!」と張り切っていたのですが、チャチャちゃんを置いていけないです。

皆、日本行きは楽しみにしていたのですが、病気が発覚した日に3人とも同時に「旅行はキャンセルしようよ」と言いました。特に息子がチャチャを心配しています。

 

大事な大事な家族の一員です。

 

夫は落ち着いたら一人で帰ったら?と言ってくれますが、う~~ん。今元気いっぱいの姿を見たら「大丈夫そう、一週間くらい帰りたい……」と思ったり、でも、もし、と心配な気持ちもあったり、心乱れます。

やはりいろいろなストレスがあり、昨年からメンタルも悪化しつつあるので短期間でも日本の空気を吸いたいなと思ってはいます。でも、でもと悩む日々です。