志村けんさんの訃報を昨日聞いて、辛くて悲しくて落ち込みました。
ドリフターズ世代。8時だよ全員集合を楽しみに見ていました。
小さい頃体が弱く入院した時に病院の消灯が8時。「どうしてもドリフが見たい」私に(覚えていませんが言ったのか、泣いたのかもしれません)「内緒ね」とシーツをかぶって一緒に見てくれた看護師さんのことは忘れられません。
それから何年も何年も笑わせていただきました。
外国に嫁ぎ、子供をアメリカで育てているときも日本からビデオを送ってもらい「ほら、これがドリフだよ。面白いでしょう?」と夫と息子に見せたものです。
数年前に飛行機に乗りスクリーンを収める大きな蓋が息子の頭の上に落ちた時も「これ見たことある!たらいが落ちるやつ!」と笑ったり、業者のミスで水道管が切れて水が噴き出したとき全員走り回るのを見て「全員集合の長屋シリーズの最後みたいだなあ」と頭の中で♪チャンチャンチャ!チャンチャラチャンチャ!チャンチャンチャ♪チャンチャーン!!と舞台が反転するときのオチの音楽が鳴り響き、慌てるシュチュエ―ションなのに笑ってしまったり。
そして志村けんの「だいじょうぶだあ」にどれほど勇気づけられたかわかりません。
昨日は悲しみに暮れていましたが、今日は都知事の「功績」という言葉に腹が立っています。
オリンピックをしたいがために検査数をなるべく減らし(と思っている)「風邪程度のもの、大丈夫」と早くから封鎖などの対策もなし。その言葉を信じて飲みに行ってしまった人も多いのでは?とか「熱が出て4日経ってから病院へ」を守り、自宅にしばらくいたのでは?と考えてしまいます。
もし、と言い出したらきりがないのはわかっています。それでも、もっと早くから「本当に危険なウイルスだ」と対策をしなければいけなかったのは国であり、都でもあるのに「功績」って。
政府からお金は出さない、でも夜遊びに行かないように。こんな変な話ないです。お店は全部閉めるべき。そして補償を後からでも考える。お店を閉めたため仕事を失った人のためにも失業手当や貸付金をすぐにするとか、そういう話し合いが先ではないでしょうか?それなのに「オリンピックの来年のスケジュールを決めた」正直1年で収まるかな?と思っています。ワクチンさえ1年以上かかるのに。
現金では貯金するかもしれないので「和牛券」という案にもひっくり返りそうになりました。
愛する日本が心配です。家族も友人もたくさんいます。政府しっかりしてほしい。
アメリカももちろんひどいことになっています。それでも国の代表や州の代表は「これは戦争だ」と戦っています。できる限りのことをしていています。
それでも毎日感染者は増えていき、10代そして赤ちゃんも助かりませんでした。そのことにも打ちのめされました。
イタリアも封鎖が決まったときに「では家族の所に帰ろう」とあんなに広まってしまったのです。
どうか、どうか、家にいられる人は家から出ないでください。
そうは言っても出なければいけない時もあります。3週間近く自己隔離していた私も今日はどうしても出ていかなければいけない仕事がありました。マスクをしてアルコールを持ち、できる限りの防衛をしました。それでも空中でも3時間生存すると言われるウイルスを考えると、外さえ出ない方がいいのです。
今日のことは次回書きます。
久しぶりに車に乗って外を見ました。いつのまにか大きな木々に花が咲いていました。
ちゃんと春はやってくるのだなあと思うと涙が出ます。
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