日本人として世界中どこにいても3月11日は忘れられない日です。
7年前、まだ母も生きていて一緒にLAで暮らしていました。10日にカリフォルニアのレドンドビーチに大量の魚が死んでいるのが見つかり「いやだ、地震とかないといいね」と言っていたのです。遠い日本でそんなことが起こるとは…。
震災当日。LAのアパートメントではケーブルテレビに入っていなかったので、ニュースでも思うように情報が入ってこなかったのです。やきもきしたのを思い出します。
そしてアメリカのテレビの情報と日本からの情報があまりにも違うので、そこにも驚きました。アメリカではすぐにメルトダウンと言っていましたから。
事実を隠ぺいしたことで国民を危険な目に合わせたこと。生活を奪ったこと。見捨てられた家畜のこと。そして置いて行かれ餓死したたくさんのペットたち。
このブログではニュース的なことは書く予定はなかったのですが、忘れてはいけないことなので書きました。
少しづつ人々の記憶は薄れていくでしょう。でも被災にあった方には今でも続いていることです。
大事なことは私たちが(忘れないこと)ではないでしょうか?
当時私は「こんな遠くから何もできない」と思いました。でもできることはたくさんありました。軍のTomodachi作戦の情報や、置いて行かれたペットの保護に携わってる方たちの情報を発信していきました。
たくさん寄付はできなくても、例えば今日YahooJapanでは(3.11)と検索すると10円の寄付が東北復興に携わる団体に寄付されるそうです。今やってきました。小さいなことでもきっと大きな力になると信じています。
Yahoo Japan今応援できること。 ←リンクでページに飛びます。
がんばれジャパン!
コメント
tomotanさんは、あの頃は LAでお母様も一緒に住んでたのですか~。前日に魚が死んでたなんて。。。
ちょうど その時は職場のPCでメールを打ってたとこでした。 モニターがユラユラゆれた。それが段々と強くなり
棚から物は落ちて来るわ、トロフイーや盾がバタバタ倒れた。
チーフが GET OUT !GET OUT !と叫んだの。
私達は、事務所の前の駐車場へ避難。
駐車場にとめてある車をみて青ざめた。
前へ後ろへとユッサユッサと車が揺れてる!
あんな光景は、初めて見たので鳥肌がたった。
そして、家で一人で留守番してる 愛鳥ラッキーが
心配でなりませんでした。
職場の建物は築70年で、傾いてたので、地震で倒れるかと思いましたよー。
PCモニターには、 TSUNAMI WARNING が赤い色の画面でポップアップしてました。(軍用)
私達は3時半で帰されたので、車をかなりのスピードですっ飛ばして帰宅。 地元は震度5強。色々な物が部屋に散乱してた。 仏様のお水まで ひっくり返ってました。
インコ無事でしたが、鳥かごの中は、びしょびしょになってました。 あれから 強い余震も頻繁にあって、ずっとめまいが
してるような感覚でした。 インコはこれを機に体調を崩し、
半年ぐらい 小鳥の病院へ通ったのでした。
被災地のペット達は、孤児になった子も多かったし、犠牲になった子も多くいました。
家畜も餓死という悲しい結末。
家に損害がなくても、原発事故によって強制的に避難しなければならない区域があり、 長く住んでた年配の人で、家をでたくない。とか 農業を再開出来ない などの悩みで自死された人もいました。とても切ない事です。
トモダチ作戦では、私達はとても仕事が忙しかったでした。
オーダーがどんどん入ってくるので、入力しても入力しても、エンドレスでした。 メチャ忙しかったけど、これが被災地の
お役にたってると思うと、ちっと嬉しかった。
Navyのヘリコプターなどで、米軍基地と被災地の間をいったい何往復したんだろう。。って感じでした。
帰ってくる度に 放射能のチェックをしてましたよ。
普天間からは応援部隊(marine)が来てて、こちらの米軍基地に
2ヶ月 滞在してましたよ、報道されてなかったでしたけど。
沖縄に帰る時は、作業着安全靴は処分していきました、放射能汚染の可能性があるのね。
アメリカから救助のお手伝いに来てた 空母の乗組員の何人だったか忘れたけど、被爆してしまいました。。。
米軍基地は、しばらく間 人居なかったでした。
軍人の奥さんや子供達は アメリカへ優先的避難したのです。
そのまま帰って来なかった人もいます、日本は危ないからってね。。。
15000人もの犠牲者、行方不明は2500人ちかくいます。
語りついでいって欲しいですね。
うちの職場には 神戸の震災を知らない世代もかなり居ます。
奈美さんへ こんばんは!!
そうなんです。あの頃LAに住んでいてブログはもう始めていました。
毎日のようにトモダチ作戦のこと書きました。三沢の基地関係者の方方も連絡いただいたりして、あの頃軍はがんばっていましたよね。
被曝してしまったこと本当に残念です。
本当に怖い体験でしたね。車がゆっさゆさ揺れるなんて想像もできません。鳥ちゃん怖かったでしょうね。
ストレスで体調壊すこともあるのですね。被災地のペットも本当にかわいそうでした。
このブログではあまりニュース的なこと書いていないのですが、やはり大事なことは書いていこうと思いました。
繰り返さないためにも。
7年もたつと色々忘れてしまいますし、特に軍が何往復もして支援したなんて知らない人も多いでしょうね。
いつかまた書きたいなと思います。