マンモグラフィ受けてきました。19年前の乳がんの時の事。

病院

 

数日前 マンモグラフィ Mammography 受けてきました。結果は一週間ほど後に書類で来るのですが、何かあったら連絡すると言われました。なので電話がなかったので一応安心しています。

 

日本でも皆さんご存じだと思います。マンモグラフィとは乳房専用のXレイのこと。私はこれで乳がん発見することができました。2003年の事なので19年前になります。

約20年前はマンモグラフィーはあまり一般的ではなく、50歳過ぎ60歳くらいの方のみ推奨されていたと思います。

左の乳房にごつごつとした塊と違和感があり、痛みがありおかしいと思い医者に行きました。乳腺炎にそっくりな症状。それぞれ別にの医者だったのに、触診で3回とも乳がんではないと思うと言われました。

乳がんは小豆代で見つかることが多いのですが、私の場合ミカン大(4.5センチ)だったのです。数か月してから「念のため」にうけたマンモグラフィでやっと発見することができたのです。

 

今では若い方の乳がんも増えています。こちらのブログではあまり乳がん関係の事を書かないと思ったのですが、早期発見、マンモグラフィの大切さを少しでも多くの方の目に留まってほしいと思い、こちらにも書いておきます。

乳がんエッセイをまとめたものはこちらになります。内容はほぼ同じです。読みやすいかなと思うものが、こちらです。

 

カクヨム 乳がんサバイバー

時系列で一番読みやすいかなと思います。カクヨムは角川の投稿サイトです。こちらには(続編の19年が過ぎて)も掲載中です。

 

Note 乳がんサバイバー

投稿サイトNote 写真付きで、字が大きくて読みやすいです。ただ並べ替えの方法がわからずw一番上が(その後エピローグ)になってます。

『サバイバー 進行乳がんを生き抜いて』で第10回アルファポリス特別賞受賞しました。このブログに書きました。 過去記事

 

舞い上がるほどうれしかったです。ただブログ形式だったのと、あまり読まれていないようでしたので、今は掲載していません。と言うか、一度取り下げたら、また掲載方法がわからなかったww それから小説家になろうにも移しましたが、こちらは読み手のニーズと違うかなと思い、こちらも引き上げようと思っています。

手を加え細かいことも加筆して(闘病ノートものすごく分厚いのでエッセイの何倍もあります)書き直して、またどこかで発信できたらと思います。エッセイマンガに挑戦してもいいかなと思っています。

もう読んだ!と言う方しつこくてごめんなさい。

辛い思いをする人が少しでも減ることを願って、これからも書き続けます。

生かされている意味をいつも考えます。大事な家族のため。そしてこの経験を一人でも多くの方に伝えて早期発見に役立てたり、標準治療への勇気を持ってもらえたらと思います。

標準治療はよく誤解されるのですが、いわゆる手術、抗がん剤、放射線治療の事です。代替ちりょうではない、病院での治療という意味です。

私もすごく心揺れました。左胸を切除、抗がん剤で髪の毛も抜ける、放射線での火傷。そんな苦しい患者の心につけこむような怪しげな治療が当時もありました。

何とかキノコを注文しようとしたことも。標準治療をしながら体に良いものをとるのならいいと思うのです。でもやはり「食事だけで治る!」とか「このお湯につかるだけで治る」というような言葉に惑わされないで欲しいなと思います。

治療は本当に辛かった。やめたいと何度も思いましたけど、今も元気で生きている。私は感謝するばかりです。

左胸は再建も挑戦しましたけど、放射線から時間が短すぎたせいか失敗しました。

今ではもうこのままで良いと思っています。

数日前に乳房切除手術 mastectomy用のブラジャー2枚とシリコンの乳房を受け取ってきました。トライケアの保険にはいっています。軍の時は無料、引退してからは確か20%の支払いです。

義手などと同じくProsthesisと呼ばれます。100ドルから200ドルくらいでしょうか? ずっしりと重みがあり、すごく手触りが良いです。それをブラのポケットに入れます。

mastectomy用のブラも今ではいろいろなメーカーが出しています。昔はかわいいブラを諦めきれなくて、普通のプラを買ってきて靴下とかでポケットを付けていました。

数年いや10年以上かも。べそべそ泣く日も多かったのですが、健康だって、おしゃれだって諦めない。と今では思います。

胸が1つ足りなくなっても、体力が足りなくなっても、生きているのが一番だと私は思います。

検査、早期発見そして治療。これからも発信していこうと思っています。

 

 

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